「どうすれば、一生食える人材になれるのか?」「このまま、今の会社にいて大丈夫なのか?」ビジネスパーソンなら一度は頭をよぎるそんな不安。北野唯我氏は、発売たちまち3万部を超えるヒットとなった『転職の思考法』で、鮮やかに答えを示した。「会社が守ってくれない時代」に、私たちはどういう判断軸をもって、職業人生をつくっていくべきなのか。
今回は、「石の上にも三年説がなぜ間違っているか」を北野氏が解説する。

「石の上にも3年」と言ってくる人を、全員無視すべき理由

日本で一番AI人事が進んだ会社の人事が明かす「3年は嘘」

「石の上にも3年」と言ってくる人を、全員無視すべき理由北野唯我(きたの・ゆいが)
兵庫県出身。神戸大学経営学部卒。就職氷河期に博報堂へ入社し、経営企画局・経理財務局で勤務。その後、ボストンコンサルティンググループを経て、2016年ハイクラス層を対象にした人材ポータルサイトを運営するワンキャリアに参画、サイトの編集長としてコラム執筆や対談、企業現場の取材を行う。TV番組のほか、日本経済新聞、プレジデントなどのビジネス誌で「職業人生の設計」の専門家としてコメントを寄せる。

「石の上にも三年ってありますよね?」

目の前の男性はそう、こう続けました。

「今なら確信もって言えますが、あれね、データで見ると【100%嘘】ですよ」

私は驚きました。なぜなら、この発言をしたのは、日本で最も人事におけるAIの活用が進んだ会社の方だったから。その方によれば、個人が適正の乏しいフィールドで三年耐え忍んだからといって、そのことを理由にパフォーマンスが上がることはほぼないそうです。
私は普段、人材マーケットを客観的に見る立場にいますが、その中でたしかに感じることがあります。それは「年数や年齢だけを理由に、他人がキャリアの幅を狭めることほど、悲しいことはない」
ということです。言い換えれば、本質的に、年齢や年数のせいで「挑戦できない」という理屈が成り立つのはミリオンダラーベイビー的な肉体労働ぐらいではないか、と思うのです。それ以外は、はっきり言って思い込みです。その典型例がどんな仕事場でも最低3年は頑張り続けなければならない、という「石の上にも三年」説です。

野球を10年続ければ大谷になれるのか?

「何年間その仕事をしてきたか」ということは、人が思っているより重要ではないことが多い。分かりやすい例でいうとスポーツです。

早い段階でスポーツの世界で活躍する人は、たしかに若い頃から長年1つのスポーツを続けていることがあります。たとえば、幼稚園や小学校の頃から10年近く同じスポーツをやっているというのはザラです。一方で、誰でも10年野球を続ければ大谷翔平になれるか? というと、まったくそんなことはないのは自明です。

同様に、ビジネスの世界でも、10年同じ仕事を続けていても、その領域で一流と呼ばれる人もいますが、反対に中々芽が出ない人もいます。

これはシンプルな話で、年数と成果は緩やかな相関はあったとしても「年数が長い=価値がある」ということはまったくない、ということです。冒頭に出てきた人事の方は、実際にそれをデータによって検証しているわけです。そんな彼はこう続けました。

「石の上にも三年より、大事なことは、どの場所を選ぶか。つまり相性です」

と。同意です。私が普段言う言葉で表現するとしたら「石の上にも三年よりはるかに大事なのは、どの石を選ぶか」です。

場所は変えていい。3年いたから成果が出たのではなく「どこにいても成果が出た時代」

「いやいやいや」

あなたはそう思うかもしれません。たしかに、現実はそう甘くはありません。

社会に出ると、特に今の40~50代の人の中には、若い人に対して「根性がない」という事を言ったりします。その世代は1つの会社に勤めることが美学のような考えを持ち、「転職する人間=根性がなく、成果を出すことができなかった」と解釈する人もいるのは事実です。

私自身も、新卒で入った日系の大企業や、外資の企業を比較的早いスピードで辞めています。そのため、たまに「お前はまだ何もわかっていないのに、辞めるのか」ということを言われました。
では、なぜ、こんなことが起きるのか。それは、人間の本質に紐付いています。人間の本質とは「人は自分が経験してきた物事の延長線上でしか、新しいコトを理解できない」ということです。今の若い人と、その親世代では「経験してきたこと」があまりに違います。

たとえば、高度経済成長期を生きてきた人は「何をやってもうまくいく」世界の中で生きてきたので、「転職なんてする必要がない」と考えます。あるいは、失われた20年を生きてきた人たちは、「たとえ石の上だったとしても長く耐え忍ばなければならない。そうしたら、その先は見える」と考えます。

一方で、今の若い人たちは違います。彼らはインターネットやテクノロジーの中で生きてきたため、「この前まで良いと言われていたものも、変化して当然である」と考えます。

この三者の「生きてきた世界の違い」こそが、実は「石の上にも三年」という概念を強引に他者に押し付ける張本人なのです。つまり、ある意味では意見の相違は「仕方ないこと」なのです。

キャリア論で「年数」だけを理由に説明する人は、全部無視

では、「石の上にも三年」ではないとしたら、何が本質的なキーなのでしょうか。

あえて極端にいうとわたしは「すべての問題は人員配置に帰着する」と思っています。どれだけ努力したとしても、そもそもの「組み合わせ」を間違えていると、誰も幸せにならないということです。ましてや「(どんな)石の上にも三年」なんてのは絶対に嘘だと思っています。

これは友人関係や、恋愛を例にして考えるとわかりやすいでしょう。たとえば、全然ウマの合わない友人と三年いて突然仲良くなる、あるいは、元々生理的に無理な異性と長年いっしょにいて急に好きになる。その可能性は、果たして高いのでしょうか?

これらの可能性がまったくゼロだとは思いません。ですが、元々「相性のいい人」に比べて、元々「相性の悪い人」を好きになったり、仲良くなったりする可能性が少ないのは明らかです。

仕事における相性とは「何をするのか」と「誰とどう働くのか」の2つの要素に、自分の能力や適性を掛け合わせたものです。「誰と働くのか」の一要素ですら、上記のように相性による影響は大きい。いわんや、全体における相性の影響度はとてつもないものになるのではないでしょうか。

実はこれはデータで見ても同じです。詳細は著書『転職の思考法』の中に書いていますが、実は日本は「そもそもどの産業を選ぶのか」によって一人当たりの生産性が約20倍も違います。つまり「どこを選ぶのか」によって明らかにあなたの市場での価値、より直接的に言えば給与の額は強く影響を受けるわけです。石の上に何年いようが、この20倍もの差を覆すのは至難の業です。

さて、そろそろ終わりにします。何が言いたいのか?あえて極端な結論を一言だけ言うとこうです。

キャリア論で「年数」だけを理由に、できないと説明する人は、全部無視すべき。

そんな年数に関係なく、あなたが輝ける場所は他にもあるかもしれない、と。