美術史の本としては異例となる5万部を突破した『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』の著者であり、新刊『名画の読み方』や『人騒がせな名画たち』も好評を博している木村泰司氏。本連載では、新刊『名画の読み方』の中から、展覧会の見方が変わる絵画鑑賞の基礎知識などを紹介してもらう。今回は、ルーヴル美術館でも特に目を引く、ルーベンスが描いた21枚の連作について解説してもらった。
本来は大画面に描いてはいけない主題を描いた
ルーベンス作の『マリー・ド・メディシスの生涯』
本来なら歴史画にならない主題を、その教養を駆使し古代の神々や擬人像を登場させ華麗な歴史絵巻にしたのが、「王の画家にして画家の王」として称えられた、17世紀フランドル絵画を象徴する巨匠ルーベンスです。
1621年、すでに北ヨーロッパ最大の画家として美術界に君臨していたルーベンスのもとに、アンリ4世の寡婦であり、フランス王太后であったマリー・ド・メディシスからの注文が入ります。
当時、彼女は自分が育ったフィレンツェのピッティ宮殿を模したリュクサンブール宮殿を造営中でした。その新しい宮殿の2つの大ギャラリーを飾るために、一つには自分の半生を主題にした21枚の絵画と自身と両親の肖像画3枚(計24枚)を、もう一つのギャラリーのために亡き夫アンリ4世の生涯を主題にした連作をルーベンスに注文したのです。
マリーからの注文を受けたルーベンスは、自らパリに赴き、6週間の滞在中に24枚に描く内容を決めました。そしてアントウェルペンに戻り、大工房で助手を使いながら制作されたのが、現在はルーヴル美術館で展示されている『マリー・ド・メディシスの生涯』です(現在もリュクサンブール宮殿と同じ配置で並べられています)。
当時はまだ歴史画用とされていた大画面に、存命の人間の半生を写実的にドキュメンタリーとして描くことは許されていない時代です。しかし、発注された時点で掛ける場所が決まっていたため、そのサイズは変更できません。24枚中16枚は394×295cm、3枚は394×727cmと394×702cmという、歴史画にしか許されない大きなサイズでした。そのためルーベンスは「寓意画」という体裁を取り、神話の神々や擬人像を登場させることで、マリーの半生を「歴史画風」に演出しなければならなかったのです。