「負けて勝つ」という戦略
もうひとつエピソードをご紹介しよう。
あるメーカーが販売している製品について、そのライバル企業から「特許侵害訴訟」を仕掛けられ、私が訴訟代理人のひとりに任命されたときのことだ。ライバル企業は「多額の損害賠償」と「販売差止」を要求していた。状況は不利。特許侵害については、完全に反証するのは難しい状況だった。
そこで、私たちは訴訟戦略を練り、こう結論づけた。「特許侵害」の認定で負けたとしても、現在市場に流通している製品の「販売差止」は絶対に回避する、と。できるだけ「損害賠償金額」を減額する努力はするが、「販売差止回避」を至上命題とする方針を確定したのだ。
なぜか?
「販売差止」は、その製品市場での“死刑宣告”に等しいからだ。
もちろん、損害賠償も痛いが、一定期間において得た利益の一部を原告に支払うことは致命傷にはならない。それを負担するだけの企業体力もある。
しかし、すでに市場にない製品の「販売差止」はまだしも、現在市場に流通している製品が「販売差止」となれば、私たちは市場シェアを一気にライバル企業に奪われることになる。そして、挽回はきわめて難しいだろう。まさに致命的な問題なのだ。だから、私たちは「生き残る」ことを目的に、「販売差止回避」に注力することにしたのだ。
勝算もあった
その製品に使われている特許は、専門家によると少なく見積もっても数万件はあるというが、私たちが侵害したとされる特許は、そのほんの一部にすぎないのだ。しかも、それらの特許は、ユーザーの購買行動を左右するほど重要なものとも思われなかった。
つまり、たとえそれらの特許を侵害していたとしても、そのためにユーザーが私たちの製品を選んだ(私たちがライバル企業のユーザーを奪った)とは言えないということだ。にもかかわらず「販売差止」にすれば、ユーザーが製品を選択する権利を損なうことになる。ここに争点を収斂させることができれば、特許侵害の認定は受けても、「販売差止」は回避できる可能性があると踏んだのだ。
結果、どうなったか?
判決では、いくつかの特許侵害が認定され、高額の損害賠償を課せられたが、「販売差止」は回避。もちろん、メディアは「敗訴」と書きたてた。たしかに私たちは損害賠償という痛手は負った。しかし、当初の戦略どおり、市場に流通している製品の「販売差止回避」という目的は死守したのだ。負け惜しみでもなんでもない。私たちは、最も重要な争点において「勝った」ということができるのだ。
もう一度、繰り返そう。
交渉とは、「自分の目的」を達成するための手段である。そして、「自分の目的」を達成することができれば、いかに「敗北」の形をとったとしても、それは間違いなく「勝利」なのだ。
いや、表面的な「敗北」を避けることを目的にすることこそが危険だ。もしも、私たちが、「裁判に勝つ」ことを目的にしていれば、「販売差止回避」という絶対に譲れない一線を守り切ることはできなかっただろう。その一点に、すべての力を集結させたからこそ、なんとか「販売差止回避」を勝ち取ることができたのだ。