拉致被害者5人が
2002年に帰ってきた驚愕の理由。
それは、「七赤の〇〇」のエネルギーが働いたから
前回は、2001年の出来事で終わっていましたので、翌2002年を見ていきましょう。この年は「湖の七赤」の一年でした。
政治的なニュースでいえば、初めて日朝首脳会談が開かれ、拉致被害者5人が帰国したことが大きな話題となりました。
七赤の年は、今まで滞っていたものが、人の話術やコミュニケーション能力によって動く(流れる)という特性があります。
この時代の首相は小泉純一郎氏。
外交に限れば、玉石混淆な部分もありましたが、その喋りの上手さに関しては、誰も異論はないでしょう。
そういった小泉元総理の匠な話術も功を奏した部分もあって実現した「拉致被害者の帰国」も、(これまで滞っていた)人が流れるという意味で、七赤の年の影響を受けていると私は見ています。
他にも、この年には、まさに七赤の年らしい現象がいくつかあります。
注目は「ゆとり教育」が始まったことです。
学校が週5日制となりました。
では、なぜ「ゆとり教育」のはじまりが“七赤の年らしい”のでしょうか。
あなたはイメージできますか?
湖の七赤の特性を思い出してください。
七赤の年の傾向は、人々が癒しを求めるようになることでした。
これは、七赤を象徴するのが動植物に癒しを与えるオアシスである「湖」だからです。
ゆとり教育は、これまでの詰め込み教育を辞めました。
子どもたちの学習時間を減らし、「なぜ」という視点を持ってもらうために経験重視型に切り替えたのです。
これによって、子どもたちは学習内容に大きな変化があり、土曜日は休みになりました。
その分、自分の好きなことに時間をかけるようになったのです。
この政策は、もしかしたら七赤の年でなかったら可決されなかったのではないかと思っています。
子どもたちの教育について「ゆったりと自主性を伸ばしてほしい」という、役人、そして国民たちの意志がなければ、法案は可決しないものです。
七赤の年のエネルギーによって、大人子ども含め、世間全体が無意識に、ゆったりとした癒しに似た雰囲気を求めたからこその「ゆとり教育」だったのではないでしょうか。
また、この年には、多摩川に「タマちゃん」が出現し、その愛らしい姿を一目見ようと、連日多くの人たちが多摩川に集結しました。
これも、七赤の年だからこその出来事ですよね。癒しを求める人びとの気質が絶妙にマッチし、タマちゃんは爆発的なブームを巻き起こしました。タマちゃんグッズも売れに売れました。
こうしてみると、2002年は、実に七赤の年らしい一年であったと思います。