それ以外に道がないという「悪意ある誘導」で、空気をつくる

 議論の前から「隠れた結論ありき」、別の都合で特定の前提がすでに決まっている。この構造こそが、日本の議論にダブルスタンダードが出現する最大の理由です。

「意志決定はすべて空気に委ねる」が、「それが何らかのデータに基づいているように見せる」のが実情であっても不思議ではない(*7)。

 自動車の排気ガス規制である日本版マスキー法では、「国民の抵抗感が少ない税収アップの方法」として、新しい環境基準値を守れない自動車をターゲットにすることが、すでに決まった状態から議論が始まっていたのでしょう。

 タテマエとしては日本における基準の決定はあくまでも「科学的根拠」によるのであって「空気」によるのではないことになっているから、外国からその科学的根拠を問われると、だれも返答できないことになってしまう(*8)。

 山本氏が“タテマエ”と書いているのは、実際はNoxと自動車を悪とする議論が、科学とはまったく関係ない別の基準で行われたという意味でしょう。自動車を悪と設定して、増税の空気(前提)を押し切ることが目的だからです。

 科学的根拠など当時はなく、税収アップのための新たな基準値だったと仮定すれば、科学的データ以外のあらゆる奇妙な論法を持ち出して、「自動車は悪」という空気(前提)を醸成したのも頷けます。

(注)
*7 『「空気」の研究』 P.53
*8 『「空気」の研究』 P.53

(この原稿は書籍『「超」入門 空気の研究』から一部を抜粋・加筆して掲載しています)