失敗や不祥事が空気から生まれる理由
特定のグループ、階層は同じ立場を共有しています。彼らは同じ空気(前提)を持ち、その共通前提の基で、自分たちのグループに都合の悪い現実の一部から目を背けるのです。
戦艦大和が敗戦で拿捕されると、責任論は海軍の大和関係者、それも上層部に集中するでしょう。なぜ、この最強戦艦を活用せずに敗戦を迎えたのかと。海軍上層部だけで議論すれば、「敗戦前に戦艦大和は戦って散るべし」という前提ができ上がるのも、ある意味で当然なのです。
実際に大和に乗艦しない上層部にとっては、3000人の兵員の生命、沖縄特攻の成功確率がほぼ皆無といった現実は、自分たちの空気の前に無視できることです。一方で、もし上層部が全員大和に乗艦することになれば、空気は一瞬で変わったでしょう。
大和の沖縄特攻は、責任問題に直面する海軍上層部には合理的な判断です。しかし、それは上層部という絶対に特攻しないムラ人たちの合理性であり、大和の艦長や乗組員たち、確実な死を迎える命令を下された兵士の家族や愛する人たちには極めて不合理で、許しがたい背信行為の決断だったに違いありません。
合理的な議論でも、それは一部のムラにとっての合理性にすぎない場合。その議論から生まれた空気は、共同体の他のムラに属する者にとっては不合理そのものとなります。
つまり、合理的に議論したことで空気が生まれ、問題解決に真の合理性が入り込めなくなる。そして、究極に愚かで悲劇的な決断を、上層部や一部の権力者が平気で行うことになるのです。
のちになぜそのような背信的な決断をしたのか問われると、上層部や権力ある立場の者は、決まってこう答えるでしょう。
「当時の空気では、仕方なかった」
同じ立場の者が集合するムラは、利害も共通、無視したい不都合な現実も共通です。このようなムラが、他のムラのことを一切考えなければ、常識を疑うような不条理な決断と行動が何度も繰り返されるのです。
(この原稿は書籍『「超」入門 空気の研究』から一部を抜粋・加筆して掲載しています)