アドラー心理学の入口と出口

――『嫌われる勇気』をきっかけに「アドラー心理学」が急速に広まったことで問題も起きているんですね。その背景には「アドラー心理学」が日本人にとって受け入れやすい思想だったことがあるのでしょうか。

アドラー心理学の入門書『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の著者・岸見一郎
岸見一郎(きしみ・いちろう)
哲学者
1956年京都生まれ、京都在住。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。世界各国でベストセラーとなり、アドラー心理学の新しい古典となった『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』執筆後は、アドラーが生前そうであったように、世界をより善いところとするため、国内外で多くの“青年”に対して精力的に講演・カウンセリング活動を行う。訳書にアドラーの『人生の意味の心理学』『個人心理学講義』、著書に『アドラー心理学入門』『幸福の哲学』などがある。

岸見 日本人にとっては逆に受け入れにくい思想ではないでしょうか。多くの日本の読者は、アドラーの思想を知ると「とても欧米的だ」と感じるようです。日本ではあまり馴染みのない対人関係の理想を説いているからでしょう。東洋的でないから自分には実践できない、と感じる人は多かったと思います。一方、欧米の読者は、アドラーを非常に東洋的だと受け取る人が多いようです。結局のところ、アドラーが説く対人関係の理想のあり方は、これまで世界で誰も経験したことのないようなものだから、そういう反応が出てくるのだと思います。

古賀 アドラーの思想には、2つの側面というか、入口と出口みたいなところがあるのだと思います。アドラー自身が名づけた「個人心理学」という本来の名前と、『嫌われる勇気』というタイトルが示すように、自分であることの重要性、個人主義の意義を説いている心理学であり、哲学でもある。そういった入口の部分が日本人にとってはびっくりするような考え方で、西洋的に感じられるのでしょう。
 逆に出口の部分、つまりアドラーが目指す最終的な目標である「共同体感覚」は、むしろ日本人のほうが馴染みやすいと思います。欧米の人たちは、入口はよくわかるけれど最後の理想のところが自分たちの感覚からは遠い、これは東洋思想じゃないかと感じるのではないでしょうか。
 どこから入ってどこに出て行くか、その段階の踏み方によって日本人が受け入れやすいところと受け入れにくいところがあって、それが欧米とは逆なのかなと思います。

――「共同体感覚」というのは、日本人が長い歴史のなかで自然に持っていた感覚と近いものがあるのでしょうか。

古賀 そうですね。自己啓発的な本の原点にあるのは、19世紀に書かれたサミュエル・スマイルズの『自助論』という本で、英語でいうところの「セルフ・ヘルプ」の源流と言われています。東日本大震災のときに「自助・共助・公助」という言葉が話題になりましたが、「自助」は自分で自分の身を助ける、自立するというとても欧米的な考え方です。でもおそらく日本人は、互いを助け合う「共助」や、公からの支援を待つ「公助」こそが、助けるという言葉の意味なのだ、という発想をベースとして持っています。
 アドラーは、そうした自助と共助のバランスをすごくうまく取っている思想家だと思います。他の欧米の思想家たちはどうしても自助の部分が強い。一方、日本人はもともと共同体での相互扶助、つまり共助ばかりを優先して、それが他人の顔色をうかがうとか、空気を読んでしまうことにつながってきた。そこにアドラー的な自助の理論が入ってきたおかげで、目を覚まされた。たぶん日本や韓国といった東アジア諸国では、アドラーはそのような受け入れられ方をしたのだと思います。

岸見 自助の部分をクローズアップしてアドラーを読んでしまうと、それは我々がもともと描いていた思想と大きく違ってしまいますね。

古賀 そうですね。自助と共助というのは、アドラー心理学では車の両輪なんです。でも学ぶ人によっては、自助の部分だけをクローズアップして便利に使おうとしたり、共助の部分だけをクローズアップして都合よく使おうとしたりする。それらが車の両輪であることはわかっておいて欲しいですね。