著者累計700万部突破のベストセラー作家で、現在8万部の『大富豪からの手紙』著者・本田健さんと、小泉政権では大臣として不良債権処理や郵政改革に当たったエコノミスト・竹中平蔵教授(東洋大学教授/慶應義塾大学名誉教授)の対談が実現しました。
今、日本が抱えている課題とその「処方せん」について、お二人に語り合っていただきました。

幼少期の経験の中に、成功のヒントがある

竹中 平蔵(たけなか・へいぞう)
1951年、和歌山生まれ。一橋大学経済学部卒業後、日本開発銀行入行。大阪大学経済学部助教授、ハーバード大学客員准教授、慶應義塾大学総合政策学部教授などを経て、2001年より経済財政政策担当大臣、金融担当大臣、総務大臣、郵政民営化担当大臣などを歴任。現在、東洋大学国際地域学部教授、慶應義塾大学名誉教授。ほか、公益社団法人日本経済研究センター研究顧問、アカデミーヒルズ理事長、(株)パソナグループ取締役会長、オリックス(株)社外取締役、SBIホールディングス(株)社外取締役、世界経済フォーラム(ダボス会議)理事などを兼職。

本田:最初に、竹中先生の幼少期について教えてください。私は、「子どものころの体験は、その後の人生に大きな影響を与える」と思っています。その人が活躍するかしないをわけるのは、「幼少期にヒントがある」のではないか…と。竹中先生のご両親は、どのような方だったのですか?

竹中:私は、和歌山県和歌山市の商店街にある履物屋、「竹中靴店」の次男として生まれました。
父親も母親も大学を出ておらず、それどころか、まわりにいる「大学を出た大人」は医者と弁護士だけで、勉強ができる人に将来の夢を聞くと、必ず「お医者さん」と答えるような環境でした。なので私も、「大学には行かずに、父親の商売を継いで、この街で生きていくのかな」と思っていましたね。
父親は、商店街の中でも一番早く店を開けて、一番遅く店を閉めるなような、職人気質の真面目な人でした。

本田:お母様は、どんな方でしたか?

竹中:母親も、父に輪をかけた働き者です。男の子3人を育てながらお店を手伝って、如才なく近所の人とも付き合って、明るくて、前向きな女性です。
母親は、短い教訓を使い、いろいろなことを私に教えてくれました。今でもよく覚えているのは、「遅いことなら、猫でもやる」という言葉です。関西の商売人らしいですよね(笑)。幼いときから「何事もテキパキやらないといけない」と教えられてきたので、物事に集中して段取りよくこなすことが自然と体に染みついてしまったのかもしれません。
裕福ではないけれど、極貧でもない。地方都市に暮らす典型的な家庭でしたね。

本田:それは意外ですね。私は勝手に「竹中先生は英語が話せるから帰国子女で、両親はどちらも大学教授で、小さいころから『論語』を読んでいたに違いない」というイメージがありました(笑)。

竹中:まったく違います(笑)。小学校から高校までは、地元の公立校に通って、普通に受験勉強して、一橋大学に入りました。
29歳で、ハーバート大学の国際問題研究所に客員研究員として留学したときは、英語がなかなか通じなくて、英語の壁を痛切に感じましたね。