教育の基礎ですら時代に応じて変わっていく?
学歴から「ラーニングヒストリー」へ
巣籠 そうですね、評価される必要はない。ただ、自分自身がどういう状態かは知っておいたほうがいいと思います。それがどのような基準なのかはありますが、人にとやかく言われる必要はない。先(注:前編参照)の好きなことを行うという話にもつながりますが、評価を受けるにしても他者を意識せずに、というのが大事だと思います。
エストニア生まれ。エストニア経済通信省局次長を経て民間へ。コンサルティング会社ESTASIAや、日本のクラフトビールを欧州へ輸入するBIIRUを設立。現在、Planetway取締役。日本・エストニア/EUデジタルソサエティ推進協議会理事も務める。タルトゥ大学卒、早稲田大学修士課程修了。共著に『未来型国家エストニアの挑戦 電子政府がひらく世界』(インプレスR&D)
ラウル エストニアの例を話せば、当然、学校はあります。ただ授業の内容は結構、変わっていると思います。1990年代の半ば、「タイガーリープ」というプログラムがあって、すべての学校にパソコンを置き、インターネットをつなげるということをしました。
その当時、パソコンの値段は、給料の3ヵ月分するほど高価でしたので、子どもたちがITに親しむ環境を用意したのです。20年も前からそういう政策があったから、ITが身近でスタートアップがたくさん生まれています。さらに、いまではサイバーセキュリティーやドローンについて教えている学校もあります。
教育の制度が変わっても、その結果が見えるのは何十年後となります。すでに現時点で、脳の一部は、(端末を手にとり)このスマートフォンの中にあるため、人間のスキルが時代とともに変わっていくことは間違いありませんね。
孫 戦国時代の基礎教育は、武道でした。戦のために馬術も求められました。19世紀になると、学びの基礎は、読み、書き、そろばんと言われました。それが20世紀になると、そうではないよねとなり、国語、算数、理科、社会などを学ぶようになりました。
つまり、僕に言わせると、教育の基礎というのは普遍的なものではなく、時代や社会にものすごく依存しているのです。これからの時代は、知識をたくさん蓄えることが優れているわけではない。クリエイティブな環境で自分なりの問いを立てる力とか、そういった力が求められるのです。
それなのに現在の教育は、「せーの」で、みんなまとめて同じように標準化させるスタイルのままです。多様に学ぶ時代になれば、基礎学力という概念すらも、なくなるのではないかと思います。
もっといえば、ブロックチェーン技術によって、今後、ラーニングヒストリー(学習履歴)が記録として残るようになります。そうなると、学歴の概念も変わると思います。東京大学を出たとか早稲田大学を出たとかで人を判断するのは、あまりにもおおざっぱ。何を学び、誰と何をしたかが全部、記録されて、しかも改ざんされなくなれば、その人の学びの解像度を上げることができます。
すると、オーソリティー(権威)としての大学というのはあまりいらなくなる。もし、オーソリティーがほしいなら、たとえば、「ディープラーニングの第一人者の先生と一緒に研究をしました」ということのほうが、価値が出ると思います。人材採用のマッチングもより円滑にできるようになるでしょう。
司会 なかなか議論は尽きませんが、ここから後半戦に入ります。8つのテーマから、時間の許す限り、1つずつ議論を進めたいと思います(登壇者にカードをめくってもらってランダムでテーマを選択する)。……はい、「お金の未来」が選ばれました。
最近、キャッシュレスが話題です。お金はなくてはならないものなので、関心が高いテーマですが、「つまらなくないお金の未来」とはどのようなものだと思いますか。