平均寿命が2倍になった人生100年時代、
「学校」はもういらない!?

人生100年時代には「学校」なんていらない!?「つまらなくない未来」の教育とは? 孫泰蔵 Taizo Son / Mistletoe ファウンダー
連続起業家(シリアルアントレプレナー)。世界の大きな課題を解決するスタートアップを育てるため、投資や人材育成、コミュニティー創造などを行うMistletoeを創業。コレクティブ・インパクト・コミュニティー(Collective Impact Community)という新業態を掲げ、現在世界を舞台に活動している。

 極端にいえば、僕は学校すらいらないと考えています。もちろん、子どもが学校に行きたいといえば別ですが、そうでないなら、学校に行かせる必要はないでしょう。
 人生はこれから100年時代を迎えます。振り返れば、1900年ごろの平均寿命はおよそ50歳、それが今後100歳を超えるわけです。もっといえば、1700年代の欧州の平均寿命は、三十数歳です(注:日本人の平均寿命は1800-1850年に33.7歳、1900年に44歳、1950年に61歳という調査がある。Angus Maddison,“The World Economy: A Millennial Perspective,” OECD)
 長い人類の歴史を見ても、100年で寿命が2倍になることは過去に経験がありません。一方で、それまでの伝統的な価値観というのは、50歳、60歳で死ぬという前提でできています。そもそも、60歳から「老後」といわれますが、40年も続く「老後」とはおかしくないでしょうか。
 従って、伝統的な考え方を継続する限り、本質的に多くの課題が解決できるわけがありません。法律とか政治とか社会保障の問題ではないのです。われわれが100年、どう生きるのかということが問われ、その価値観を見直す必要があるのです。100年間生きるのならば、20歳までに、あれもこれもと詰め込む必要はないでしょう。学校に行きたくなければいかなくてもいい。僕がそうだったように、学びたくなる時期はいつか来るはずです
 既存の学校というのは、これまでの伝統的な、平均寿命が50歳、60歳しかなかった時代の価値観の上に成り立っているものなので、その点で必要がないというわけです。

学校とは何か、先生の役割とは何か

田鎖 学校自体は必要かなと思います。確かに、これまで受けてきた教育というのは、先生が壇上で生徒に内容を覚えさせる「ティーチング」が100%でした。生徒は、暗記したことを答案用紙に書き出して、その評価を受けてきました。これからは、生徒に寄り添い、その力を引き出す「コーチング」が100%の教育が必要だと思います。その点、コーチングを受ける場としての学校は必要だと思います。

人生100年時代には「学校」なんていらない!?「つまらなくない未来」の教育とは? 小暮真久 Masahisa Kogure / TABLE FOR TWO International 代表理事
マッキンゼー・アンド・カンパニー、松竹を経て、2007年NPO法人「TABLE FOR TWO International」を創設し、代表理事に就任。2011年、シュワブ財団・世界経済フォーラム「アジアを代表する社会起業家」(アジアで5人)選出。早稲田大学理工学部卒業、オーストラリアのスインバン工科大学大学院で修士号取得。著書に『[完全版]「20円」で世界をつなぐ仕事』や『人生100年時代の新しい働き方』(いずれもダイヤモンド社)等。

小暮 学校については、半分イエスで半分ノーです。語弊を恐れずに言うと、先生が問題です。
 イタリアの先生には、完全に「自分」があるのです。子どもがお世話になったロザルバ先生は、毎日、BMVに乗って、全身ベルサーチで登校してきました。定時にはすぐ帰りますし、自分の人生を楽しんでいる。それに対して、日本人の先生は構え過ぎている様子があります。
 子どもがぽつんとしていると、先生が来て「大丈夫」と声をかけてくれるのですが、本人からすると、1人でいたい時がある。イタリアの先生はそれをよく見ていて、放っておいてくれました。
 また、イタリアでは、個人の差を認める教育がある。とにかく先生が子どもを褒めるのが特徴です。語尾に「シモ」がつくと、「最高ね」という意味なのですが、やたら「シモ」がつくのです。両親以外に褒められた時の子どもの目の輝きがやはり、すごい
 いま自分の子どもが5歳と7歳なのですが、イタリアから日本の環境に入ると、日々、同調圧力にさらされており、自分の子どもが変わっていく様子を感じています。

人生100年時代には「学校」なんていらない!?「つまらなくない未来」の教育とは? 田鎖智人 Tomohito Takusari / ジャパンネット銀行 代表取締役社長
早稲田大学政治経済学部卒業後、日本信 販(現三菱UFJニコス)を経て、2003年ヤフー入社。ポイントサービスの立ち上げと統合、 クレジットカード事業やウォレットサービスの立ち上げ等、ポイン ト・決済関連の事業を担当。2006年ジャパンネット銀行との資 本業務提携に伴い、同行社外取締役に就任。ヤフー セントラルサービスカンパニー 決済金融本部本部長などを経て、2018年2月から現職。

田鎖 泰蔵さんは、千葉・柏の葉でVIVITAの取り組み(注:参考記事「想定外を生むコミュニティーの力」をしていますよね。あれこそが学校の姿かなと思います。
 誰かにインプットを受けるわけではなくて、自分の中で学習をする機会があり、無理矢理、通っているわけでもありません。コーチング100%になれば学校も変わると思います。

 心に火がつく説明をしてくださってありがとうございます。ちょっと暴走してもいいですか(会場笑)。
 学校とは何かと考え出すと結構、定義が難しいのです。皆さん、考えてみてください。学校は、何をもってして学校というのか、と。
 僕にいわせれば、結局のところ、「評価軸があるかないか」です。それが学校かそうでないかの違いであり、コーチングであろうが、ティーチングであろうが、何らかの評価軸を伴って運営しているのが「学校」です。
 その点、VIVITAに評価軸はないのです。なので、僕の定義では学校ではない。しかも完全無料なので、親との契約もない。そのため、原っぱと一緒です。実際、急に来なくなる子もいます。僕らは追い掛けもしないし、親が行きなさいとも言わない。誰がいつ来るかどうかもわからないので、評価がない。評価しないことに意識的であるため、VIVITAは学校でないといえるでしょう。
 僕は、学びというものは、自分で評価すればいいと思っています。人と比べる必要はありません。自分の中で前に進んでいる感覚があれば、それでいい。学びは自分のものだし、人がどうこうとか、人より優れているとか、劣っているということはないのです。