過去の自分は嘘をつく
克服するために「失敗」こそ記録する

奥野:悩んでいたときの記録を見返すと、立ち位置の変化みたいなものが目に見えてわかるようにもなりますね。1年前のノートを見ていると、「全然できなかった」とか書いてあるんですけど、それはもう今だったら楽勝だなというのが結構あるんです。

 自分の進歩がはっきりと認識できます。また、ある体験が、その当時のノートに書かれている記録と今の印象と全然違うものになっていたりすると、自分が変化している証拠になるんですよ。それは自分の考え方やものの見方が変わったということです。

五藤:読書の記録なんかも、そのときに読んだ印象が明確に残っていますよね。読み返したときに、前に読んだ感想と違っていたりすると、自分の変化を意識しますね。

奥野:読み返したときの印象が昔と違っていれば、「成長した」ともいえるし、一方で「若さを失った」ともいえるかもしれない。印象が同じであれば、20歳の自分にとっても大きなテーマだし、30歳の自分にとっても大きなテーマだということもわかる。

 つまり、一生かけて追うようなテーマだということですよね。だから、20歳の頃に面白いと思って読んだ本が、今読むと「まったくつまらない」となったら、もうそのテーマは自分の中で終わったということですよ。

五藤:過去の記録は嘘をつかないですよね。自分では過去にそんなふうに感じていないといくら思っても、記録としてちゃんと残っているという。

奥野:本当にそうですね。『人生は1冊のノートにまとめなさい』でも書きましたが、僕なんか小泉政権のときの郵政解散の総選挙で、開票速報を見ながら、「これで日本は変わる!」とかノートに書いているんですよ。これ、危ないです(笑)。政局になるたびに熱狂するのは、言ってしまえば記憶喪失みたいなもので、ダメなんです。でも、ノートを読み返すことがなければ、そんなふうに自分が乗せられて興奮していたこと、大バカ野郎だったことも永遠に気づくことができません。

五藤:そのままだと、ついごまかしちゃいますが、記録が残っていれば冷静に過去の自分と向き合えます。それは成長していくために、とても大切なことですよね。

奥野:記録が残っているとものすごく客観的に物事を見れるようになるし、人間というものがいかにいい加減かわかるから、若い人のことをバカにできなくなります。「近頃の若い者は」なんて言っている自分も、実は昔まったく同じだったりするわけで。いわば、自分を実験台にして、本当の自分を理解できるわけです。

五藤:僕も記録でいちばん役に立っているのは、そのとき自分が「こう思った」とか、「こういうことをしようと思った」ということです。それを忘れちゃったら、ほぼ100%取り戻せないですから。

奥野:そうなんですよ。出来事ややり取りは、他人に聞けば思い出せますけど、自分がどう感じたかというのは、記録していないと永遠にオサラバです。

五藤:最近、人前でしゃべったりする機会が増えてきたのですが、こういうときに以前インターネットで動画中継をしていて良かったな、って思うんです。

 自分の音声をちゃんと記録しておいて、「これはいかん」と思った部分、例えば今度からはもっとゆっくりしゃべるようにしようだとか、そのとき感じた問題点を書いておくようにしていたんです。こういう、自分が感じた問題点をちゃんと残しておくというのは、苦手を克服していくためにもすごく役に立つと思います。

奥野:「やられた傷」を残しておくんですよね。傷ついたことをちゃんと残しておけば、いつか必ず克服できる。

五藤:人間はすぐなかったことにしちゃうんだと思います。だからこそ、失敗したっていうことをちゃんと残しておかないと、また同じ失敗を繰り返すのだと。学習するためには、記録しないとダメなんですね。