体験を知識化しないと
人は前進できない

五藤隆介氏

五藤:僕の場合、自分の中で理想の「こうなりたい像」というのがあるんですよ。そうなるためには、今のこの部分を変えないといけないというのを意識して、ようやく10年くらいかけて性格も変わってきたと思います。その上で役立ったのは、「こういう失敗をした」というのを、できるだけ客観的に見られるように記録していたということです。

奥野:人間は忘れますからね。一昨日の晩御飯だって思い出せないレベルですから、「残像を残しながら移動する」というのを意識して書いておかないと、必ず忘れてしまいます。同じことを延々と繰り返して一生を終わっていく人もいますよね。

 この前、『失敗学のすすめ』という本を読んでいたら、「ただ経験の多いベテランではダメ」で「体験を知識化しないと意味がないんだ」というようなことが書いてありました。僕が新聞記者時代、ものすごいベテランなのに文章がド下手な記者がいたんですよ。普通、何十年も記者をやっていたら、どんな人でもうまくなるはずなのに、なんでだろう? と思ってたのですが、この本を読んでやっとわかった気がしました。

 要するに、その人は体験を知識化できていなかったんですよね。ただ経験しているだけで、自分の中で「良い文章とは」という文章理論みたいなものがまるでなかった。自分の文章を分析できていなかったんだと。

五藤:分析するには、「自分を見る」しかないですよね。

奥野:そうです。自分の書いた原稿を読み返して、「これはアカンかった。体言止めを2回も使っている」とか反省しないと、経験をいくら積もうと永久に「知識化」できないんです。

五藤:記録を仕事で活かすという意味では、営業の人も会った人をすべてメモしておいて、どんなことを話したかとか、どんな反応だったかを全部記録しておけば、次に会うときに有利になると思いますね。うまくいった場合は、なぜうまくいったかとか、ダメだった場合も分析して理由を書いておけば、体験を知識化できますね。