調停人の術中にはまる
ところが、翌日、驚かされることになる。
私は、和解の挨拶をしようと、相手の弁護士に電話をした。そして、お互いに3年にわたる戦いをねぎらい合ったうえで、こう聞いたのだ。
「昨日はハードな調停だったね。ところで調停人は、午後4時から6時間も、君たちの部屋でどんな交渉をしていたんだ?」
すると弁護士は驚いた声で応えた。
「何を言っているんだ。調停人は午後3時30分からずっと、おれたちの部屋にはいなかったよ。君の部屋で妥協案をまとめてくれていたんじゃないのか?」
一瞬、私は、「どういうことだ?」とあっけに取られた。
しかし、すぐにわかった。
私たちはまんまと、調停人の術中にはまったのだ。
調停人は、6時間もかけて相手の説得をしていたのではなかった。きっと、自分の控え室で休んでいたのだ。そして、おそらくこれは、数々の深刻なトラブルを解決してきた、彼一流の戦術なのだと思い至った。前日の出来事を振り返って、私は、彼の深い知恵に唸るほかなかった。
まず、彼は、双方の言い分に静かに耳を傾け、それぞれの主張に理解を示した。こうして、双方に「自分は味方だ」と思わせることに成功。そのうえで、お互いにぎりぎり歩み寄れる妥協点を洗い出して、和解案の整合性を取っていった。とはいえ、3年も膠着状況が続いたトラブルだ。お互いを100%納得させられる和解案など、ありえないこともよくわかっていたはずだ。
そこで、彼は、双方の「感情」を利用した。
自分を味方だと認識させておいたうえで、6時間も放置。双方ともに、「自分のために一流の調停人が粘ってくれている」と誤解させたのだ。そして、6時間にわたって「暑さ」「空腹」「疲労」を与え、闘争心を奪い去ったのだ。
「感情」は「論理」を飲み込む
私は、この戦術をずるいとは思わない。
むしろ、人間というものをよく理解した、実に巧みな交渉術だと思うのだ。
もしも、彼が最終的にもってきた和解案を、午後3時にもってきたらどうなっていたか? 双方ともにまだ闘争心に満ちている。あくまで自分たちの論理を押し通すべく、粘り強く対策を練ったはずだ。しかし、その対案を相手側に持ち込めば、さらに亀裂が深まるだけだったであろう。
調停人は、そのようなプロセスを続けることを不毛と判断したのだろう。
だから、あえて、双方の「感情」を利用することによって、論理的には異議を挟む余地のある和解案を飲むという意思決定に導いたのだ。さすがは、アメリカで5本の指に入る調停人であると言うべきだろう。
「感情」は「論理」を飲み込む──。
これは、交渉において忘れてはならない真理だ。
私たちは、交渉において、自分にとって望ましい意思決定をしてもらうために、相手を論理的に説得しようとしがちだ。もちろん、それはきわめて重要なことだが、相手にも相手の論理があるため、下手をするといつまでも平行線を辿るだけに終わりかねない。
そんなときに、交渉のプロフェッショナルは「感情」を武器に使う。「論理」ではどうしても結着つかないときに、最終的に意思決定の決め手となるのは「感情」である。「感情」は「論理」を飲み込んで、私たちの意思決定を決定づけるのだ。