PDCAサイクルを何度も回すことで、その世界の細かなルールを熟知し、パフォーマンスという農作物の刈り取りに熟練していくことこそが、この「カイゼンの農地」の基本倫理になっている。
「カイゼンの民」に迫りくる自動化とVUCAの脅威
いまや、この「カイゼンの農地」の住人は、かつてないほどの危機にさらされつつある。その背景にあるのが「オートメーションの波」と「VUCAの霧」だ。
AI(人工知能)やロボティクスによるオートメーション(自動化)が持つ脅威については、たくさんの有識者がすでに強調しているので、ここで僕がわざわざ書くまでもないだろう。
PDCAに基づく学習が有効な領域、ある程度の手順が決まっていて自動化が可能な分野は、今後、ロボットや人工知能による代替が進んでいく。
もう1つの危機が、世の中の見通しがつきづらくなったということだ。これまでは過去の成功・失敗に基づいて未来を予測し、意思決定をしていくことが求められていた。
しかし、いまや確実にわかっているのは、「確実にわかる未来などほとんど存在しない」ということくらいだ。世界の経済人が集まるダボス会議(世界経済フォーラム)では、このような世界を指して「VUCAワールド」という言葉が聞かれるようになった。
これは、Volatility(変動)、Uncertainty(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)の頭文字をつなぎ合わせた造語である。いま、「カイゼンの農地」は、先が見通せないほどの「霧」に覆われつつある。
ここをもともと支配していた世界観は、VUCAワールドのそれとは真逆だと言っていい。
「毎年、これくらいの収穫高がある。農地を1割増やせば、取れ高も1割増えるだろう」
「昨年度の入試では、こうした出題傾向があった。同じ分野の対策をしておこう」
「市場が年率10%で成長している。来年度の予算はこれくらいにしよう」
――このようなシンプルな予測のなかで、人々は生きてきた。
もはやそれが通用しなくなってきているのは、ここの住人が怠惰だからではない。
むしろ、彼らはとてつもなく勤勉なのだ。しかし、過去のデータの調査研究や分析、それに基づいた対策や戦略では追いつき得ないほど、世界の変動が激しく、不確実で複雑で曖昧になってしまったことのほうに原因がある。
「正解がない時代になった」というお決まりのフレーズは、もはや陳腐な響きを持ちつつあるほど随所で叫ばれているが、これは正解が「見つからなくなった」だけではなく、文字どおり「存在しなくなった」ということを意味している。
「いかに答えを探すか」ではなく、「そもそも答えなどない」という前提で動くことが、大半の人・組織に求められるようになったわけだ。むしろ、勤勉であることは足かせにすらなりかねない。
そしていま、前述の2つの脅威が前景化するなかで、いよいよこの「カイゼンの農地」のリスクは高まっている。
それでも、この場所から多くの人が出ていこうとしないのはなぜだろうか?