発売直後から大きな反響を読んでいる『直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN』著者で、戦略デザイナーとして活躍する佐宗邦威氏。彼によれば、同書のコンテンツは、経営学者である入山章栄氏(早稲田大学ビジネススクール准教授)と共に行ってきたメディアリサーチプロジェクトでの対話が下敷きになっているという。
個人の「妄想」を起点に現実のビジネスを動かす「ビジョン思考」と、世界標準の経営学でも注目される「センス・メイキング理論」や経営理念に基づいた「長期的方向づけ」とは、どのように関係しているのか。入山氏ご本人のキャリアや子ども時代のストーリーにも触れながら、存分に語っていただいた特別対談の第2回。(構成:高関進)
表の世界で活動しつつ内側に潜る生活
佐宗:今回書いた『直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN』には「思考の世界」というイラストが登場します。この図の「カイゼンの農地」の人たちは、言われたことを要領よくできる人の世界で、受験勉強などは比較的当てはまる世界です。その中でトップクラスをめざす競争の世界で、競争が得意な人もいれば負ける人も多い。
僕はもともと典型的な左脳型人間で、サラリーマンとして「カイゼンの農地」にいました。でもこの競争の世界は苦手なので、そこから離れたところにいたくなるわけです。自分なりに上の世界でどうポジションを取ったらいいか考えながら、下の世界にも行きたい。
早稲田大学ビジネススクール准教授
慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所で主に自動車メーカー・国内外政府機関への調査・コンサルティング業務に従事した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授。2013年から現職。「Strategic Management Journal」など国際的な主要経営学術誌に論文を発表している。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』(英治出版)、『ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学』(日経BP社)がある。
入山:わかります。僕は物理的にも潜るのが好きなんです。布団をかぶってずっと中に入っているとか、小さい頃はよく押入れの中に1人で入っていました。「みの虫になりたい」と思っていたくらいで(笑)。冬眠するモモンガとかにもあこがれてましたし。
佐宗:意外と内向的なところをお持ちなんですね(笑)。1人で歩くのが好きとか潜るのが好きというのは、自分の世界をずっと見ることができる「内省」の時間が多くなるということじゃないですか。
入山:それで思い出したんですが、僕の好きなシチュエーションは、イメージで言えばたとえば外が猛吹雪のときに暖炉がある家でぬくぬくしてホットミルクかなんかを飲んでいる、というものなんです。
内向的で誰ともコミュニケーションしない状態はネガティブに捉えられがちですが、自分にとってはすごく重要だと思いますね。僕は今はちょっと外で活動していますが、それができるのは、それ以前の「長い潜伏期間」があったおかげだなあと感じます。
佐宗:ちなみに最初の就職先、三菱総研のときはどうだったんでしょう?
入山:ちょっと外に出た部分がありました。仕事も楽しかったし、面白いことができていたからです。一方でアメリカの大学のPh.D.への留学をめざしていましたから、そっちは潜っていたわけです。
佐宗:上の世界にいつつ、潜ってもいた。
入山:そうですね、当時は両方の世界を行ったり来たりしていました。
論理の人と自由な人との決定的な違い
佐宗:僕は「どんなことも努力して乗りきる」という努力型で、P&Gに入ったときも「カイゼンの農地」の住民だったと思います。しかし職場には明らかにキャラが違う人がゴロゴロいるわけです。
株式会社BIOTOPE代表/チーフ・ストラテジック・デザイナー。大学院大学至善館准教授/京都造形芸術大学創造学習センター客員教授
東京大学法学部卒業、イリノイ工科大学デザイン研究科修了。P&G、ソニーを経て、戦略デザインファーム「BIOTOPE」を起業。著書に『直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN』『21世紀のビジネスにデザイン思考が必要な理由』(クロスメディア・パブリッシング)がある。
上司や先輩には「若い頃はケンカばかりで、パチプロで暮らしていました」みたいな人もいましたし、当時のP&Gのマーケティング部にはそういう猛獣タイプの方が多かったんです。そうした野性的で自由なスケール感の人と、他人からゴールを与えられて必死に戦ってきた僕のような人間とでは、致命的な差があります。
そういう人には、ガンダムなり、株なり、ゲームなり、パチンコなり、とにかく異常に「ハマる力」が強いという共通点があるように思います。たとえば、「好きなことを仕事にしなさい」と言っている成毛眞さんの家の写真を見ると、自分の好きなガンダムなどのフィギュアだらけなんです。
一方、ほかの人に合わせてずっとやってきた人や、「論理だ、ロジックだ」などと言われる世界にいる人は、だんだん自分の「好き」がわからなくなっていく。そういう人が、実はけっこう多いのではないでしょうか。このような経験から、「好きなことに徹底的にハマる」というのが独自性を生み出す上で肝だと思ったんですよね。
入山:そういう教育を受けているからでしょうね。クラスにいるスーパーヒーローみたいな子がどんなモチベーションでそれをやっているのかは知りませんが、「ああいう子を見習いなさい」「あれがゴールですよ」みたいに言われる。勉強も運動もできて、素行もいい子が理想ですということになっていますから。
佐宗:学校には「文武両道」みたいなできる人間がいるじゃないですか。僕はまったくと言っていいほど目立たないタイプだったんですけど……潜っている立場から、先生からそういう子たちはどう見えていました?
入山:僕とはまったく真逆のタイプだったので「すごいな」と思っていました。もう世界の違う人間ですよね。僕はむしろ底辺に近いものの、かといってワルにもなれないという、極めて中途半端な世界にいましたから。
地下に潜っているときの楽しさ
入山:ピッツバーグ大学で経営学を勉強していたときはお金もないし、最初は英語もわからない。それにアメリカの大学のPh.D.は学生の半数が2年以内に落第するという厳しい世界ですから、1日20本くらいひたすら論文を読みまくって、学食でランチのカレー食べるという生活の繰り返しでした。つまり表面上は潜った感じなんですが、すごく楽しくて充実していたんです。
また、今思うと「潜伏」しているときにすごく人に恵まれていました。たとえばアメリカの大学への推薦状を3年連続で書いてくれた上司のことは話しましたが、ピッツバーグ大学での指導教官の存在も大きかったですね。
当時の指導教官が、いきなり右も左も分からない僕を研究プロジェクトに入れてくれたんです。まだ英語でコミュニケーションすることもロクにできていなかったのに、同じ研究者の一人として扱ってくれて。内容はベンチャーキャピタルの国際化の研究で、僕はかつて経済学の分野でたまたま似たようなデータ解析をやったことがあったんです。
本当に奇跡のような環境で、潜っていてもすごく楽しかった。僕よりはるかに優秀な学生でも、人に恵まれなかった学生は途中で消えていましたから。
佐宗:入山先生が『世界の経営学者はいま何を考えているのか』(英治出版)を書かれたのが38歳です。今のお話によれば、長い「潜伏期間」で積み重ねた独自のいろいろな世界が時代の波と合致して一気に隆起した、という印象ですね。
引っ張り上げてくれる人の存在は大きい
佐宗:心理学者アンダース・エリクソンのフレームワークに、「超一流といわれる人は、内省するスペースや、コーチの指導を受けつつ、自分のライフテーマ、探求テーマみたいなものをもち、日常は目の前のゴールを設定しフィードバックを回す。これを続けていくと熟達していく」というDeliberate Practiceという理論があります。
先生の場合、もともと内省するタイプで、かつ指導教官に恵まれて目の前の好きなことをずっとやっていた。それで気がついたら「地上の世界」に登っていた、という気がします。
入山:はい、そうだと思います。「思考の世界」の図でいえば、「地下世界」に潜っている僕を「上」から引っ張ってくれる人がいたんです。推薦状を書いてくれた上司や指導教官を筆頭に、恩師・恩人を数えたらきりがありません。
佐宗:自分を引っ張り上げてくれる、中国語でいう“貴人”ですね。
入山:アメリカは大学の仕組みがよくできているので、「アカデミック・キャリアの成功パターン」みたいなものが確立されているんです。Ph.D.の最初の成功というのは、Ph.D.を取ってトップスクールの助教授になることです。その争いに負けた人は、もう少しマイナーな大学の助教授になるか、あるいは民間企業に行くわけです。僕の場合、ニューヨーク州立大学バッファロー校のビジネススクールの助教授になれたので、まずはたまたま「地上世界」にあがることができました。
ただ、そうやって入った世界でも違和感が出てきたんです。それでバッファローに来てからまた「地下世界」に潜るようになりました。ただ、その頃は死ぬ気で研究をしないとやっていけませんから、研究はしっかりやっていたんです。
一方で、最初の本『世界の経営学者はいま何を考えているのか』の構想だけは浮かんでいたので、友人に編集者を紹介してもらい、その原稿も書いていました。それで月~金は研究をして、土日の空いている時間に本の原稿を書く、という生活を2年くらいしていました。
佐宗:バッファロー校の助教授ですから、表向きはPh.D.として成功していたように見えつつ、一方で潜って原稿を書いていた、つまり「妄想を具体化していた」ということになりますね。
(最終回に続く)