「当時の教授たちもそれを読んで講義していたようでした。分厚くて重たい本でしたが、ちゃんと目を通しておけば講義を聞かなくても分かるくらいハイレベルで、おもしろかった」

 循環器医療の基礎となる、生理学と心電学にも夢中になった。

「生理学を勉強すれば内科が分かるようになると聞いて、一生懸命勉強するうちに出合ったのが循環生理学でした。そこから循環器に興味が湧いて心電学を知り、没頭しました。だから僕は5年生の時にはほぼ、心電図が読めるようになっていました。心電図は心臓疾患の診断の基本ですからね、いろいろなことが分かるようになる。どこの診療科に行っても『あ、これ分かるよ』と言うものだから指導医は嫌な顔をしていましたね。生意気な学生でした」

 心電図が読めることは大きな自信をもたらし、さらに広い世界をめざす原動力になった。

「アメリカ留学は早い時期から決めていました。あの頃、日本の循環器病学はずいぶん遅れていましたから。5つの大学に留学希望の手紙を送り、すべてからOKの返事をもらいました」

 選んだのは、アラバマ大学。35年以上も前に、当時の日本円にして500万円近い給料をもらい、世界的に有名なワルドー教授の下で2年半、午前は臨床、午後は研究という日々を過ごす。留学中と帰国後に、CirculationやJACCなどの代表的な医学誌に共著も含め10本の論文が掲載されるという快挙も成し遂げた。

「何より、グローバルな視点を持てたことが大きかったですね。熊本でずっと生きているのも幸せですが、僕はグローバルな世界で生きていく幸せを選んだ。そのほうがおもしろいでしょ。九州よりオールジャパン、オールジャパンよりグローバル。そのためにはやっぱりどこかで殻を破らないといけない。

 若い人は殻を破って国外留学するべきです。たとえ成果が出なくても、視点が変わり、もっと先が見えてくる。それが大切です」

医学は常に日進月歩
アップデートしていくことが大事

 留学から帰国した後の10年間は、母校に戻り、臨床と研究に明け暮れた。