かつての日本は、たしかアジアで唯一の「先進国」と呼ばれ、それ以外の国々は「発展途上国」と呼ばれていたはずだ。それがいつしか日本は「衰退国」、アジア諸国は「新興国」と呼ばれるようになっていた。
そんななか、自らの成長機会を求めて積極的に海外に拠点を移す日本人たちも出てきた。いまや世界は狭い。「日本人だからといって日本に住みつづけなければならない理由はない」と肩の力を抜いて考え、自分にとってより望ましい環境を国外に求めるという選択肢はおおいにアリなのだ。
このコラムでは、日本での外資企業勤務経験を経て2008年にシンガポールに渡り、現在は彼の地で財務のコンサルティング業務に携わる杉山嘉信氏に、日本の“外”で起こっている現状を伝えていただく。今後6回にわたり、あなたのキャリアを見つめ直すヒントとなる情報をお届けしたい。

僕がシンガポールに渡ったワケ

海外で使いものにならなければ“社内失業”?!杉山嘉信(すぎやま・よしのぶ) 1974年、兵庫県生まれ。34歳のとき、外資系企業での管理職ポジションを辞してシンガポールに移住。現在は、シンガポールで年間約600社にコンサルティングサービスを提供し、企業の経営者、実務担当者と毎日のように海外経営戦略について話をしている。米国公認会計士、通関士。 http://www.facebook.com/sugisg3

 2008年当時、僕はある外資系企業で働いていました。

 外資系企業では、世界中の優秀な同僚と仕事をし、部下持ちの管理職にもなりました。自分で言うのもなんですが、けっこう充実したサラリーマン生活を送っていたと思います。

 ただ、気になっていたこともありました。日本のプレゼンスの低下と、アジアのグループ会社の台頭です。たとえばグローバル会議で来年の見通しの話をしていると、日本の販売数量は、どれだけ伸ばしてもせいぜい数パーセント。一方、アジアの国の伸び率は2桁が当たり前です。

 とはいえ、そんな不安を感じるのはせいぜい会議に出席したときくらいで、普段は「対岸の火事」のように思っていました。

 そんなある日、ショッキングな事件が起こります。「会社清算」の話が出てきたのです。理由はいろいろあったのでしょうが、思うに遠因は「伸びない日本市場」にあったのだと思います。外資系ではよくある話ですが、僕は突如、自分の行く末を考えなければならなくなりました。

海外で使いものにならなければ“社内失業”?!2007年、シンガポールの1人当たりGDPは日本を抜いた。1杯1000円もする日本のラーメン店に行列ができている。以前は駐在の日本人客中心だったが、現在はローカル客が中心。

 ちょうどそんなとき、伸びゆくアジア=シンガポールでの仕事を見つけ、移住を決意しました。現在は、国際財務、経営戦略に関連したコンサルティング業務のフィールドで、年間約600社のクライアントと仕事をさせていただいています。

 このコラムでは6回にわたり、海外から見える日本の状況と、私たちはそれにどう対応すればよいのかを、主に「キャリア」という視点から考えていきたいと思います。