場合によっては、最悪の結果になったとしても、「この程度の被害で済むのか」と分かり、安心できます。

不安は明確化すると課題に変わる」ということです。

 イメージできないものはマネージできません。逆に言えば、漠とした不安だから対処できずに、ただただ怯えてしまう。その姿形をしっかりと思い描くことができれば、多くの場合、対処できるようになります。たとえ、そのリスクを完全に取り除くことはできなくても、可能性を減らしたり、衝撃に備えたりすることができるはずです。

 イメージできれば、その状態をマネージすることができるわけです。

 この考え方は当然、正しいと思います。ただし、万能とまではいえません。私もこうした認知行動療法を行いますが、残念ながらそれだけで不安がすべて解消できるわけではありません。解明しようにも、しかとイメージできない漠とした不安というものもあります。

 そこで今回の“究極の一手”です。

 不安な心と向き合う方法として、「和魂洋才」を活用するのです。西洋の論理的・科学的方法論と、東洋の知恵をバランスよく組み合わせて使いこなすのです。

 最近の医療現場で、西洋医学と東洋医学を上手くミックスした混合医療の重要性が説かれるのと同じです。東洋医学の知恵の多くは、反科学ではありません。科学ではまだ解明できていないことも経験値で鷹揚に取り入れているのです。

 つまり、イメージできる不安の源泉は論理療法で解明し、しっかりと対応すればいいのですが、それでも解明できない漠とした不安には、神頼みも験担ぎも有効であると言いたいのです。

 未知のものには未知のもので対処する。その鎧が自信につながり、安心につながるのであれば、それを否定する必要はありません。

 そう思えるようになって、「こんなことをやっていて意味があるのか?」と考え始めた私の考察も、巡り巡って「意味がある」という結論に達しました。

 西洋流の論理的アプローチにも限界はあるのです。論理で解明できる不安は、人間が背負い込む不安の一部にすぎないのです。

すべてにおいて必要なのは
バランス感覚である

 ただ、注意すべきは常にバランスを崩さないことです。論理も神秘も、行きすぎは禁物です。どちらも行きすぎれば取りつかれ、病的変質に至ります。

 論理的すぎれば、論理を逸脱します。神頼みも験担ぎも、意識せずにそれが心地よいうちはプラスですが、不安感が増すことで、何とかそれに対処しようと何でもかでも意識して行うようになると、危険です。