「交渉決裂カード」をどこで切るか
ライアン そうそう。そんな機会はたくさんあります。
ある中小企業が、世界的な大企業と組んで仕事を進めるべきかどうか悩んで、私に相談してくれたことがあります。客観的に数字だけを見れば、そのまま契約すればクライアントが確実に大損をする。でも肝心のクライアントは「その大企業と一緒に仕事をすることには、実績をつくるという大きな意味があるから、多少の損は厭わない」と考えて、前のめりになっている。
もちろん、実績をつくる意味はあるでしょう。しかし、そのためにあまりにも悪い条件を受け入れるのは、私には不合理に見えました。だから、私は「本当にそれでいいのか?」と何度も説得しました。「ビジネスとして決定するのならば私はそれを阻止できないけれど、客観的に見た限りでは、合意することはおすすめできない」と。だけど、結局、クライアントはひどい条件で契約をしてしまいました。あのとき、つくづく難しいと思いましたね。
鮫島 難しいですよね。「実績」ができる価値と、「長期的な損失」のダメージを、数値化して比較することなんてできませんからね。どうしたって、主観的な判断にならざるをえない。どちらが「本来の目的」に資するのかを確実に判断するのはとても難しいことですよ。
ライアン ただですね、あのときの契約内容は、あまりにもクライアントにとって不利だった。相手の大企業が“おいしいところ”を全部もっていくような内容だったんですよ。僕は、それには抵抗すべきだと主張しましたね。
なぜなら、大企業にとってもクライアントと組むことでメリットがあるからこそ交渉のテーブルについているわけです。これは、クライアントにもパワーがあるということですよ。クライアントが「交渉決裂」をつきつければ、大企業も困るんですから。どんなに不利な交渉でも、なんらかのパワーはあります。「交渉決裂」というカードを武器に、少しでも有利な条件にもっていけるように努力すべきです。
鮫島 そのことは、『交渉の武器』で強く主張なさっていますね。私はこの話、すごく感銘を受けたんです。「言われてみればたしかにそのとおり」という話なのですが、いざ自分が切るとなると、そのタイミングがとても難しい。
ライアン もちろん、難しい。だけど、強い相手と交渉するには絶対に覚えておいたほうがいい、大事なことです。実際に「交渉決裂カード」は使わなくてもいい。だけど、「交渉決裂してもいい」という覚悟をもって交渉に臨まなければなりません。そのために、「交渉決裂」したときに、とりうるプランB、プランCを練っておく。こうした準備が大切なんです。
鮫島 そのとおりですね。その努力もせずに、むざむざ不利な合意をするのはあまりにももったいない。
ライアン そして、「交渉決裂カード」を切るタイミングは、お互いが交渉に十分な時間と労力を使って、先ほど話題に出たような「本来の目的からズレた合意」に傾きそうなときです。
すると相手も、ここまで交渉に割いた時間や労力がすべて無になるのを恐れますから、こちらにとって有利な条件を再検討してくれる可能性が高くなります。だから、あまり早くに「交渉決裂カード」を切ってはいけない。「交渉決裂? わかりました」と返されて終わりですからね(笑)。
鮫島 それは、そうだ(笑)。そのタイミングを見極めるには、経験も必要なんでしょうね。
ライアン ええ。相手によっても違うし、状況によっても変わる。ケースバイケースですからね。最終的には経験に裏打ちされた「勘」のようなものが問われるんでしょうね。