つまり、女の子たちの言う「個性」とは、「大きなつけまつげをつける」といったコミュニティで共有している基準を守った上で表現される「個性」なのだ。一から作り上げられる個性ではなく、コミュニティとの関係性の中で相対的に作られる個性だったのである。

 部長の関心はこの「コミュニティで作られる個性」にあった。個人主義の西洋人も、SNSの登場によりコミュニティに所属するようになっている。となると今後は、化粧のあり方も変化していくのではないか??そんな仮説を持って、わざわざ話を聞きにやってきたのだった。世界的なブランドが日本の女の子からヒントを得ようとしているのだ。ここまで説明すれば、おじさんでも「盛り」は最先端の研究テーマらしいと理解できるだろう。

 とはいえ、このようなテーマに先行研究などあるはずもなく、著者は独自に「盛り」を数量的に計測できる装置などを開発している。これらの装置を使って、たとえば「実際の顔」と「インターネット上の顔画像」のズレを計測するのだ。実際の顔を三次元撮影して得られたモデルを、コンピュータ上でインターネット上の画像と向きが揃うように回転させ、ふたたび撮影して二次元化して、両者の特徴量のズレを算出する、といった手法である。

 それだけではない。「盛り」がいつからはじまったか、その歴史的起源も調べていく。著者の目のつけどころで感心したのは「プリ帳」だ。女の子がプリクラで撮影したシールを貼った手帳のことである。著者の調査では、プリクラが誕生した直後に高校生だった1978年生まれから、2007年に中学生だった1993年生まれまでの、15年間にわたる年代の女性たちで、プリ帳をいちども作ったことがないという女性とは出会ったことがないという。プリ帳には写真だけでなく、たくさんの文字も記されていることに目をつけたのは慧眼だ。

あまりに別人の「盛れ過ぎ」は
「盛れていないのと同じ」

 裁判記録や墓誌、教会の名簿のような史料をもとに、歴史の中に埋もれていた民衆の暮らしを生き生きと現代に甦らせる歴史学の手法がある。イタリアの歴史家カルロ・ギンズブルクは、それを「ミクロストリア」と呼んだ。プリ帳に女の子たちが書き込んだ文字の中から「盛り」という言葉が使われ始めた時期を突き止めようとする著者は、さながらミクロストリアの探究者だ(「盛り」の意外に長い歴史についてはぜひ本書をお読みいただきたい)。

 女の子たちはコミュニティの中で、常にそれぞれの個性を磨いている。だから頑張ってメイクで盛った女の子に、褒め言葉のつもりで「“すっぴん”のほうが可愛い」などというのはご法度だという。自分たちの工夫や努力を認められるほうが女の子たちは嬉しいのだ。

 かといって、やみくもに盛ればいいかというと、そうでもないらしい。