知識の知識の知識を、底の底の底まで語り切る凄み
「しゃべれるものなら、英語をしゃべれるようになりたい」と思う人が大半であるように、知れるものならば、経済を学びたいと思う人がほとんどなのも然りでしょう。
世界中で何万冊と刊行されてきたであろう、「経済」ひいては「資本主義」や「貨幣」についての書物。大きな括りでいえば、経済書に分類されるであろう本書は、ページを開いてからすぐ気づくよう、明らかに類書とは一線を画す一冊です。
そして、君は私の答えに納得していなかった。じつは、私もこのときに話した答えに納得していなかった。だからもう一度答えさせてほしい。(『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』22頁)
タイトルが表すように、著者でギリシャの元財務大臣のバルファキスは、あたかもベッド越しにお父さんが優しく語りかけるかのように話を展開していきます。
まずは、「経済」という巨大な概念対象をそのまま理解しようとするのではなく、目を凝らせばたしかに身近に広がっている「格差」に目を向けてみる。格差を理解するためには、市場が埋め込まれた「市場社会」の成り立ちと原理を知る必要がある。
そして市場社会が成立する歴史的変遷をたどると、その過程で官僚・軍隊・宗教が生み出されてきた軌跡が見えてくる。さらに経済に焦点を絞りながら歴史を遡ると、債務、通貨、国家など現在まで存続している社会制度を人類がどのように発明・構築してきたかが見えてくる。
さまざまな物事・事象を「ある概念」として表層的に説明するのではなく、それぞれの起源と起源の連結部となったマイルストーンを、深い知識と洞察で余すことなく有機的に説明していくのです。
積層しながら入り組んだ、古への知的な旅へ誘うバルファキスは、起源の最下部の深淵に「余剰」があったと看破します。