「難しいことが、易しく書かれている本」の希少さ
僕は書籍の編集協力を行うことも多く、ライター/編集者との職業柄、日常的に多くの本を読んでいます。均せば、年間に200冊前後はコンスタントに読んでいる。
自身のフィールドでもあることから、とりわけビジネス書には数多く触れています。世には難しい本、易しい本、無数の本が溢れている。それでもよくよくみると、「難しいことが、易しく書かれている本」が実に少ないことに気づかされます。
ここでいう「難しい」とは、書籍を通じて主題となる概念や事象の独立性が低く、それぞれが歴史的・社会的・文化的に複雑に絡み合っているケースです。
たとえば、僕が繰り返し読む本に『テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?』(ケヴィン・ケリー著、みすず書房)や『反脆弱性――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方』(ナシーム・ニコラス・タレブ著、ダイヤモンド社)があります。
前者は、人類が有史以来、石器から始まりiPhoneをはじめとした現代テクノロジーに至るまで、テクノロジーそのものを駆動してきた「テクニウム」の歴史的所在と動態を考察していく。フランスの哲学者ベルクソンが人間の特質を、“物をつくりおのれを形成する創造活動”である「ホモ・ファーベル」と規定した議論を引き受けつつ、ケリーはテクニウムを“生命を持った精神”と措定します。
後者の『反脆弱性』も同様、世そのものや物事の見方が変わるような、読者の思考体系に揺さぶりがかけられる一冊です。
上記のような要約や引用からでも内容の手ごわさが感じられると思うが、そのほか、『銃・病原菌・鉄』(ジャレド・ダイアモンド著、草思社文庫)にせよ、『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著、河出書房新社)にせよ、歴史の深層、概念や事象の根源に迫る本はそもそものページ数も多く、真に理解しようとするなら、読者には一定の知識量や知的体力が問われることが一般的です。
書き手目線でいえば、難解なテーマに取り組む際は、構成の組み上げ方や前提知識の説明範囲、それこそ使う語彙のレベル感まで、執筆段階で「ある程度、読者層を選んでしまうことは仕方ない」と考えます。言い換えるなら、「読み応え」と「読者層の広さ」はトレードオフと捉えてしまう。
だからこそ、難しいとされる物事を、250ページ程度で優しい語り口で易しく説明する『父が娘に語る美しく、深く、壮大でとんでもなくわかりやすい経済の話。』は、一書き手目線でも瞠目の一冊なのです。