功利主義も完ぺきではない?

「少なくとも、功利主義的に考えれば、完璧に正しいということになる。なぜなら、全員を均等に治療するよりも、もしくは、単純に重傷者から順番に治療するよりも、『選別』して治療した方が幸福度の総量は確実に大きくなるからだ。正義くんは、この災害現場における功利主義の考え方をどう思うかな?」

「えっと……正しいというか、妥当な考え方だと思います。均等に助けようとして、結果的に、助かるはずの人が死んで犠牲者が増えるのであれば、それは本末転倒というか、元も子もないというか……」

「だからそれってつまり、功利主義が正しいってことよね」
「…………え、まあ、そうなるかな」

 僕の発言に勝手に割り込んできた千幸。その千幸にごり押しされて頷いたように見えて癪だが、かといってこの件について反論はない。そもそも、もし、もっと良い方法があったら、医療の現場でとっくに取り入れられているだろうし、やはりトリアージという『選別』は現時点においては最善の方法なのだろう。

 僕からの反論がないことに気を良くしたのか、千幸は満足そうな顔で微笑んだ。そして、さらに身体の距離が近くなったような気がする。

 と、そのとき、僕は、先生がにらみつけるような視線で千幸を見ていることに気がついた。千幸は浮かれていて気づいてないようだったが、平等の正義、功利主義を信奉する千幸への何か敵意のようなものを先生の視線から感じた。

 しかし、千幸への異議は別のところから起こった。僕の左隣だ。
「私は功利主義が正しいとは思えません。そもそも幸福度の量を増やす行為が正義だと断言できる根拠は何なのでしょうか? それに、正しさや正義はそんなふうに計算して決められるようなものではないと思います」

 そう言って立ち上がった倫理の疑義に対し、「は?」と、千幸が生徒会メンバーにふさわしくない、明らかにイラついた物言いで返したことで、一気に教室の空気がぴりついた。

 おいおい。生徒会室でやっているような険悪な議論をここでも始めるつもりかよ。

「ふむ。なるほど。たしかに、功利主義は、その理屈だけ聞けばとても妥当な考え方のように思える。しかし、幸福度を計算するだけで、本当に正義を実現したことになるのか? 実は、いま彼女が述べたような疑いは昔からある。が、そこに触れる前に、功利主義をもう少し詳しく知るため、この主義の創始者がどのような人であったかを見てみよう」

次回記事『王様の腕を折るか、2人の奴隷の腕を折るか、「正義」はどっち?』に続く