飢えているAさん、満腹のBさん、Cさん

「Aさんは飢えているから幸福度はとても高まるが、Bさん、Cさんは満腹なのでそうでもない」

「では、次にAさんに多めにおにぎりを分けてみよう。すると、Aさんは飢えてる状態でおにぎりを多めにもらえるのだから、幸福度は均等に分けたときよりも格段に増加する。一方、Bさん、Cさんからしてみれば本来もらえるものがもらえなかったわけだから、多少気分は悪い。したがって、Bさん、Cさんの幸福度は均等に分けたときよりも下がってしまうだろう」

「だが、そうは言っても、彼らにとって本来不要なものを失ったにすぎないのだから、幸福度はほんの少ししか減少しない。これらのことから、結果的に全体の幸福度の総量は前よりも上昇する」

「つまり、均等に分けるよりも個々の違いを考慮して不均等に分けた方が、幸福度の総量は大きくなるわけであるが、功利主義では後者の方を『正しい分け方』だとし、それこそが『真の平等』だと考えるわけだ。もうひとつ例を出そう。今度は、医療現場で実際に使われているトリアージの話だ」

 トリアージ? どこかで聞いたことがあるような。なんだっけ。
「この話は、キミたちが医者だと仮定して想像してみるとわかりやすい。ある日、突然、大地震が起こり、キミたちの前に大量の負傷者が運ばれたとする。負傷者の状態はさまざま。擦り傷程度の者から出血多量で心肺が停止した者まで」

「さて、ここで問題になるのは、どの負傷者から順番に手当てをするべきかということ。キミたちならどうするだろう? 擦り傷程度の者ならしばらく放っておいても問題ないから後回しにするのは当然として、重傷者についてはどうすればいいだろうか。もちろん、すぐに手当てをしなければ死んでしまう者については、他の者より優先して助けるべきであろう」

「だが、手当てをしても助かる見込みがないほどの重傷者もしくは、助けるためにはたくさんの医師や医療品を必要とする重傷者が運ばれてきたときはどうするべきか。医療の現場では、そういう者の優先順位は下げて、治療はしない、もしくは後回しにして別の者を先に治療するという選択をする」

 なるほど。そういう状況なら、負傷者の数に対して医者の人数、輸血できる血液の量、包帯の数も絶対的に足りてないわけだから、生存の見込みが薄い負傷者ひとりにそれらを費やすよりは、より多くの人を助けるのに使った方がよい、というのは当然の判断のように思う。

「このように、負傷者の重篤さの度合いに応じて、治療の優先順位を決めることをトリアージと言い、実際の医療現場でも行われている。ちなみに、トリアージはフランス語で『選別』を意味する言葉で、つまり、その名の通り災害時に全員を治療することが物理的に困難なとき、助ける人間に優先順位をつけて『選別』をするということだ。悪く言えば、助けない人間を選別する、『見捨てる』という見方もできる行為であるが、果たしてこのトリアージは人間として正しい行為なのであろうか?」