日本の迷走は「問題の不足」が原因

「問題解決能力」が供給過剰になり、問題が希少化するということは、ビジネスのボトルネックが、「問題解決の能力」から「問題発見・提起の能力」へとシフトすることを意味します。

 このシフトによって世界中の企業が影響を受けることになりますが、なかんずく大きな影響を受けることになるのが、我が国、日本です。というのも、日本のビジネスリーダーはこれまで長いこと「問題を解く」ことに長けた人々ではあったのですが、そもそも「問題を自ら提起する」ということをやった人がほとんどいなかったからです。

 私たちは明治維新以来、常に「目指すべき目標」が明確に示され、それを目指して努力すればいい、という状況にありました。国政や軍事については主にドイツやフランスが、企業経営については主にアメリカやイギリスがお手本となり、それらお手本と私たちとを見比べ、目立つ差分を埋め合わせていく、ということをやっていればよかったわけです。これはつまり、日本の社会や組織のリーダーには、これまでビジョンを構想する力が求められてこなかった、ということを意味します。

 先ほど「問題とは差分である」ということを指摘しましたね。ということはつまり、かつての日本において、「問題」というのは一種の天然資源のように、放っておいてもどんどん湧いてくるものだったということです。これは非常に恵まれた状況だったというしかありません。

 7世紀の遣隋使の頃から20世紀後半まで、日本にとっての「問題」は、常に海外先進国との差分として明確に示されるという、この「恵まれた状況」が、それこそ1000年以上にわたって続いたわけですが、1980年代に入って大変困ったことが起きます。

 この時期に、欧米の企業や社会と日本のそれとを見比べても、明確な差分を抽出できないという状況が発生してしまったのです。米国の社会学者、エズラ・ボーゲルによる『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が世界的なベストセラーとなったのは1979年のことです。

 ナンバーワン、すなわち「フォローすべき先行者のいない状況」に、歴史上初めて立たされることになったのがこの時期だったということです。この点についてはあまり指摘されることがないのですが、このタイミングは日本の歴史にとって決定的な転換点だったと思います。

 人類学者の丸山真男は『日本文化のかくれた形』の中で、日本人の基本的な態度は「キョロキョロすること」だと指摘しています。いつも、どこか外側に自分のところよりも上位の文化があって、「善いもの」は常に外部からやってくる、という基本的な態度です。

 日本の思想史を通覧してみても、ユダヤ教やキリスト教社会に見られるような一貫して存在する「コンテンツ」はありません。しかし、一貫して存在する「モード」があって、それは「外来のものに無批判に飛びついて、それを呑み込んでいく」という文明受容の態度だというのです。

 だからこそ、私たちの社会ではこれまで「問題を解ける人」が高く評価されてきました。なぜなら「問題」は豊富にあり、それが解ければ何らかの豊かさを生み出したからです。

 しかし、「問題解決の能力」は今後、どんどん低価格化が進み、供給過剰の状況になる一方で、当の「問題」は見つけることが難しくなっています。このような社会にあっては、「問題を解ける人=オールドタイプ」よりも「問題を発見し、提起できる人=ニュータイプ」こそが評価されることになります。そして、そのためのカギとなるのが「社会や人間のあるべき姿を構想する力」だということになります。

(本原稿は『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』山口周著、ダイヤモンド社からの抜粋です)

山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。独立研究者、著作家、パブリックスピーカー。ライプニッツ代表。
慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了。電通、ボストン コンサルティング グループ等で戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)でビジネス書大賞2018準大賞、HRアワード2018最優秀賞(書籍部門)を受賞。その他の著書に、『劣化するオッサン社会の処方箋』『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』『外資系コンサルの知的生産術』『グーグルに勝つ広告モデル』(岡本一郎名義)(以上、光文社新書)、『外資系コンサルのスライド作成術』(東洋経済新報社)、『知的戦闘力を高める 独学の技法』(ダイヤモンド社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)など。神奈川県葉山町に在住。