「ローカル×メジャー」から
「グローバル×ニッチ」への構造転換
「自分が作りたいもの」に思いっ切りこだわって製品を作った場合、潜在的な市場規模の大きさは、作り手となる個人の嗜好に共感する人がどれくらいいるのかによって決まることになります。
もし同じような好みを持った人がたくさん存在すれば、市場規模は大きくなりますし、同じような好みを持った人がそんなにいなければ、市場規模は小さくなります。
しかし、いずれの場合でも、個人の感性が思いっ切り反映されたアート作品のような製品ですから「共感できる人」に対しては非常に強い訴求力を持つことになります。
一方、市場における多数派の好みに合わせて製品を作った場合、市場規模はそれなりに大きくなるかもしれませんが、多くの人の好みを最大公約数的に拾っているために、訴求力は低下し、どうしてもフォーカスの甘い製品にならざるを得ません。
市場が国別のローカルに閉じている状態であり、かつ一定のスケールがないと告知や販売のためのプラットフォームに乗せられないという状態であれば、多数派の好みに合わせて作られたフォーカスの甘い製品に関する情報だけが市場に届けられることになり、アーティスト的な感性を全開にしてモノを作っているサブスケールのプレイヤーには競争に参加する余地すら与えられませんでした。
結果として「ローカル×メジャー」市場に向けて製品を作っている企業が、対象となるローカル市場を支配することになったわけですが、市場がグローバルに向かって開け、かつ告知や流通のための限界費用が低下すると状況は大きく変わってくることになります。
たとえば日本市場において5%の出現率しかない市場セグメントにフォーカスを絞れば、潜在顧客数は600万人(=1.2億人×0.05%)しかいないということになるわけですが、これをそのままグローバルな市場に展開すれば、先進国だけでも12億人の人がいるわけですから、市場規模は一気に10倍の6000万人に拡大することになります。
もし同じ規模の顧客セグメントを日本の国内市場だけで狙おうとすれば50%の出現率が必要になるという計算ですが、仮に同じだけの潜在顧客数をターゲットにできたとしても、「市場への貫通力」という観点では大きな違いが生まれることになります。
というのも「とにかく50%の人に共感してもらわなければならない」という前提で多数派の好みにおもねるようにして開発されたプロダクトと「気に入った人が共感してくれればいい」という前提で自分の美意識を思いっ切り発揮させて開発されたプロダクトとでは「市場への貫通力」という点で天地の開きが生まれるからです。
ここに「グローバル×ニッチ」という市場セグメントにおける「スケールとフォーカスの両立」が実現することになります。一方で「ローカル×メジャー」の市場にターゲットを合わせて、いわば「万人ウケ」するようにして開発された製品がそのような貫通力を持つことはありませんから、事業展開の領域はローカルに留まり続けることになります。
さらに考察を推し進めましょう。このようにして、さまざまな国でフォーカスを絞った製品やサービスが開発されるようになると、それらの製品やサービスに対して共感を覚える顧客が、当然のことながら各国で現れることになります。
このとき、ローカル市場のメジャーセグメント向けに当たり障りのないボンヤリとした製品やサービスを展開しているオールドタイプは、各国からグローバル市場のニッチセグメントに向けて切っ先を尖らせた製品やサービスを展開するニュータイプから攻撃を受け、徐々にその陣地を縮小させていくことになるでしょう。
ローカル市場のメジャーセグメント向けに展開しているオールドタイプは、かつて彼らの競争力の基盤となったスケールメリットを失い、むしろスケールを求めたことで発生するデメリット、つまり「スケールデメリット」によって競争力を減損させることになります。
結果として、市場への提案力という点においても、またコスト競争力という点についても、グローバル市場のニッチセグメントに向けて事業展開するニュータイプにかなわないという状況が生まれます。
このような状況になれば、やがてローカルのメジャーセグメントに向けて、消費者調査と競合ベンチマークを主体にしながら、訴求ポイントの定まらないボンヤリとした製品やサービスを提供しているオールドタイプは徐々に苦境に追い込まれていくことになるでしょう。