消失する「スケール」と「フォーカス」のトレードオフ

 これまで長いこと、マーケティングや経営学の世界では「フォーカス」と「スケール」はトレードオフの関係にあり、これを両立させようとすることは一種の「ないものねだり」だとされてきました。

 たとえばマイケル・ポーターの競争戦略論においては「コストリーダーシップ」と「差別化」の2つが戦略の基本アプローチであり、これらを両立しようとすれば中途半端な状況に陥って競争力を失うとされ、明確に「悪手である」と指摘されています。

 しかし今日、このトレードオフは性質を変えつつあります。その変化を促進している要因がグローバル化とテクノロジーです。

 昨今、グローバル化が与えるビジネスへの影響についてはさまざまな点が議論されていますが、この「フォーカスとスケールのトレードオフの解消」という、極めてインパクトの大きいポイントについては不思議なことにあまり取り上げられることがないので、ここであらためて指摘しておきたいと思います。

 たとえば日本国内というローカル市場において、出現率が5%しかないニッチセグメントにフォーカスを絞ってビジネスを行えば、潜在顧客は600万人(=1.2億人×0.05)しかいません。

 一方で、出現率が50%のメジャーセグメントに向けてビジネスを行えば、潜在顧客は10倍の6000万人ということになります。

 ビジネスのサイズが10倍違うということになれば、原材料の購入やマーケティングの展開などにおけるスケールメリットも大きく異なってくることになるため、どうしてもフォーカスを絞ったビジネスはコスト面や展開力といった点でハンディを負うことになります。

 必然的に、誰もが市場調査を用いて「大きな市場セグメント」という漁場を特定し、彼らの好みにおもねるようにして製品やサービスを開発する、というのが「マーケティングの定石」となったわけです。しかし、これが「同質化の罠」という泥沼へと日本企業を陥れていくことになります。

 わかりやすい例が携帯電話です。アップルの初代iPhoneが発売された2007年当時において、日本の携帯電話メーカー各社からリリースされている主力製品をあらためて確認してみれば、ほとんど見分けがつかないほどに似通っていることがわかります。

 なぜこのような事態が起きたのでしょう。多くの企業が先述した「マーケティングの定石」に従って製品を開発したからです。大規模な消費者調査を行い、得られた調査結果を統計的に分析し、分析結果をデザイナーやエンジニアに正しくフィードバックしたところ、どの企業からも金太郎飴のように似通った「正解」が提案されることになったわけです。

 これはパラドックスです。マーケティングの知識やスキルはあるに越したことはありませんし、持っているスキルや知識を最大限に活用しようとするのは褒められこそすれ、非難されるべきことではありません。

 しかし一方で、経営というのは本質的に差別化を追求する営みですから、いくら論理的に正しい解答であっても、それが他社と大同小異であれば、そのような凡百な「正解」には価値がありません。

 結果がすべてを示しています。読者の皆さんもよくご存知の通り、iPhoneの登場によってほとんどの日本企業は携帯電話事業から撤退することを余儀なくされました。そしてまた皮肉なことに、アップルという会社は、市場調査をほとんどやらないということでもよく知られている企業です。

 そのような企業に、マーケティングプロセスをピカピカに磨き上げ、極めて論理的に「正解」を追求していた企業がことごとく、しかも産業史上に類を見ないほどの地滑り的な敗北を喫したという事実は、私たちに「正解に価値がない」という、厳しくも面白い時代がやってきたことを示しています。

 ここで一点だけ注意を促しておきたいのですが、筆者はなにもマーケティングを否定しているわけではありません。重要なのは人間性=ヒューマニティとマーケティングの主従関係です。

 マーケティングというのは極めて優秀な「家来」ではありますが、これを「主人」にしてしまうとロクなことがありません。

 まず「世の中にこういうものを打ち出したい」という人間の想いが起点となり、その想いを実現するための道具として用いるのであれば、マーケティングの知識とスキルは極めて強力な武器となるでしょう。

 つまり「何を打ち出すか=WHAT」は人間が主体となって意思決定し、「どのように打ち出すか=HOW」についてはマーケティングを活用する、という構図です。

 ところが、現在の日本企業では、この関係が逆転しているケースがほとんどです。つまり「何を打ち出すか=WHAT」をビッグデータなどに代表される数値が決め、「どのように打ち出すか=HOW」を人間が考えている、というトンチンカンな構図です。これでは訴求力のある切っ先の鋭いコンセプトが出てこないのは当たり前のことです。

 マルクスは、人間が「良かれ」と思ってつくりあげたシステムやプロセスから、やがて人間性が失われ、むしろ人間がシステムやプロセスの奴隷となって振り回されることを「疎外」という概念を用いて警告しました。

 今、まさに日本企業の多くで起こっているのは、この「マーケティングというシステムによる疎外」です。このようなシステムの中で疎外され続けた人間は、やがて「主体的に想い、考える力」そのものを失ってしまうことになります。

 外部のアドバイザーとして製品開発プロジェクトに携わる際には必ず、プロジェクトのキーマンに対して「そもそも何を作りたいのですか?」「この製品が出ることで、世の中にどういう変化をもたらしたいのですか?」という質問をするのですが、スパッと答えが返ってくることはほとんどありません。

 前回指摘したところの「何のために」という問いへの答え、つまり「意味」がはっきりしていないのです。

 コンサルティング会社や広告代理店が実施する調査によって得られる「市場の要請」と「競合の事例」によってモノゴトを決めるばかりで、内在的・主体的な「想い」に光を当ててこなかったオールドタイプの成れの果てがそこにあります。

 私たちの脳は可塑性の高いオープンエンドなシステムであり、何歳になっても学習によって鍛えることができますが、これを逆にいえば、使わない機能はどんどん萎縮・退化していく、ということでもあります。

「世の中をこう変えたい」「こういうものを作りたい」という主体的な「想い」や「意味」を構想するということを長らくしてこなかったオールドタイプは「自分はどうしたいのか?」「何を作りたいのか?」という問い、さらに指摘すれば「私は何のために生きているのか?」という哲学的な問いについて考える脳の機能が萎縮・退化してしまっているのです。

 このようなオールドタイプは今後、厳しい戦いを強いられることになるでしょう。なぜなら、「役に立つ」から「意味がある」へと価値の源泉がシフトすれば、万人ウケを狙うオールドタイプの顧客は、自分の好きなものに徹底的にフォーカスを絞るニュータイプによって、虫に食われるようにして奪われることになるからです。