こんまり流「片づけ」が象徴する
新しい時代の価値観とは?
山口:つまり、価値の転換ですよね。昭和は「新しい・モノがある・便利である」や、「データがある・正解が出せる」ことに価値がありました。
“すごい車”に乗るとか、“大きいマンション”をつくるといった非常に昭和的な価値は、「希少なもの」にドライブされているんです。モノが希少な時代に育った世代は、それを手に入れることを価値だと考えます。
一方で、モノが過剰な時代になると、モノの価値は下がります。モノより「意味」が、便利さより「情緒」が、新しさより「懐かしさ」の価値が上がった。今や、データより「ストーリー」で人は動きますし、説得よりも「共感」がリーダーには求められています。
人類史的に見ても、近代以降は、科学技術が連続的に進化することで、生活が便利になって安心安全になりました。日本でも便利が大事、という近代の価値観がずっと支配的でした。
でも、先ほど尾原さんがおっしゃった通り、バブルが終わったあたりから「新しい・モノがある・便利である」という価値は、吸引力をなくしてきたわけです。
例えば『人生がときめく片づけの魔法』が日本で大ヒットしたこんまり(近藤麻理恵)さんは、今や世界中でファンを生み出しています。彼女の書籍『Tidying Up with Marie Kondo』は全米で650万部も売れ、それが彼女に富をもたらしている。
富とは社会での交換価値として生まれているものですから、彼女は何らかの「価値」を出しているはずなのですが、実は彼女が出しているのが「ものをなくす」という価値なんです。これは、どんどんものが増えていくことが良いことだという近代的価値観の終わりを示唆している。しかもそれが日本だけでなく、先進国で示されているわけです。
尾原:「KONMARI」は、Netflixの看板番組にもなっていますもんね。
山口:尾原さんは、新しい世代にとっての幸せの原理は「意味合い」「没頭」「人間関係」の3つと言われましたが、「意味」や「没頭」は、具体的にどういうものだと思いますか?
尾原:「意味」については、僕はよく「城の石垣を積むおじさん」の話をするのですが、あるところに、普通に城の石垣を積むおじさんと、すごく幸せそうに石垣を積むおじさんがいる。普通に城の石垣を積むおじさんはつまらなそう。なぜなら「生きている間に積み上がらないし、毎日単純作業だし、なぜこんなにしんどいことをやっているんだろう」と思っているから。
一方で、幸せそうに積むおじさんは、「自分が積んだ仕事で、自分の子ども世代も孫の世代も幸せに暮らせる、こんな意味合いのある仕事はない」と言っている。両者の違いは「大きいコンテクスト(文脈)」で自分の位置づけが見えるかどうかです。
「没頭」とは、つまりフローで、気づかぬうちに目の前の作業や活動に集中し、のめり込むことですね。例えば、イワシの三枚おろしを1日に100枚やっていても幸せそうな人はいる。100枚下ろしていても、一匹とて同じイワシはないうえに、お客さんが求めるのがフライ用なのか刺身用なのかによっても違いがある。
つまり同じ作業に見えても、一つ一つの仕事の中に違いをつくって意味づけし、夢中になること。そして、お客さんを幸せにしながら自分も成長する。この一連の流れをフローやゾーンと呼びますが、「意味合い」と「没頭」に、さらに「人間関係」の3つが満たされることが、「今の幸せ」を表しているのではないかと本に書いたんです。