かつて、タイのバス市場を席巻した日系メーカー。だが、時代を経て、安価で最新鋭の機能を誇る中国製に押されるように。「メンテナンス体制の充実」も日系メーカーの大きなアドバンテージだが、劣勢を跳ね返す日はくるのだろうか?(ジャーナリスト 姫田小夏)
“ガタピシ”バスは日本製!
最新鋭の中国製バスと好対照
人口約870万人、タイの首都バンコクの見どころのひとつに、轟音とともに突っ走る、古びて煤けた“ガタピシのバス”がある。乗用車、トラック、バス、トゥクトゥクと、さまざまな乗り物がゴチャ混ぜに走る中で、この旧式の路線バスが奮闘している。
「ISUZU」「MITSUBISHI」「HINO」――昭和世代にとっては懐かしさ満載のレトロ車両だ。今では日本で見ることも少なくなった日野自動車のウイングマークに、「まだまだ現役なのか!」と驚かされる。
ところが、バンコクに在住する日本人の心の内は複雑だ。今年で在住10年目を迎える林田浩二さん(仮名)はこう訴える。
「バンコクの街ではここ数年、中国製のバスが走るようになりました。車体も新しく近代的で、エアコンも完備した天然ガス利用のクリーンエネルギー車です。片や日本のバスは、車体が古い上に窓ガラスもなく、黒い煙を吐く車両もあります。いかにも”斜陽の日本”を思わせるかのようで、肩身が狭い思いです」
バンコクの街で「HINO」のエンブレムを見るようになったのは、1977年にさかのぼる。1976年にタイ運輸省下にバンコク大量輸送公社(BMTA)が設立され、バンコクでの路線バスプロジェクトが動き出すと、翌年から日野自動車のバスが採用された。
日本で生産したシャシーを現地へ輸出、車体部分はタイ現地で架装する形で、初回1720台をBMTAに納入した。それ以降、2002年まで追加納入は続き、計2862台が納入された。日野自動車が海外初の販売会社をタイに設立したのは1962年。その歴史は長く、日本の自動車メーカーにとってそうであるように、同社にとっても、タイ市場は”アジアの牙城”も同然だ。
1930年のバス製造進出以来、日本のバスを進化させてきた日野自動車が、タイで力を入れたのは直営の整備拠点網の構築だ。9つの設備工場を立ち上げ、技術者を配備し、24時間体制で稼働するメンテナンス体制を打ち立てた。「故障をしても翌日の運行に支障を来さない、車両の稼働率最大化こそが価値」(同社広報)だとし、40年超にわたり、この体制を維持してきた。