絶対にうまくいかないと思っていれば、レジリエンスは不要になる?

楠木 それだけ住んでいる世界によって、勝ち負けには違いがある。そこで認知科学のご専門家である岡田先生にお伺いしたいんですが、うまくいかなかったとか、失敗した、挫折したという認知が生じるからレジリエンスが必要になるわけでしょうか。私はつねに「ものごとは絶対に自分の思い通りにはならない」という絶対悲観主義でして、いいことなんて一つもないと普段から肝に銘じております。今日だって、この部屋の中だけでも、これだけいろいろな人がいらして、その人たちが一つの社会で相互に利害を持って暮らしている。そんな世の中で自分の思い通りになる、うまくいくことなんてあるほうがおかしい。うまくいかないっていうのが初期設定になっていますので、ちょっとでもうまくいくとうれしいし、うまくいかなくても、初めから絶対うまくいかないと思っているので、何ら打撃はない。したがってレジリエンスもあんまり必要ないっていう、こういう考えはどうなんでしょうか。

「思わず助けたくなる」レジリエントな関係は、どうすれば生まれるのか?

岡田 僕はここ30年ぐらい生態心理学の分野とも関わってきたんですけども、生態心理学の立場で考えると、たとえば廣瀬さんは僕から見るともう完璧、何も欠けていないというように、自己完結しているようにと見えちゃうんですね。人の身体を外から見ると自己完結している。

 だけど自分の身体を自分の内側から見ていると、自分の背中も自分の顔も見えない。つねに不完結を抱え込んでいる。そこで僕がしゃべると、皆さんがちょっとにこやかな顔をしてくれる。そのとき「あー、僕の話っていうのはこういう意味を持ってたんだ」って初めてうれしい気持ちになれる。

 だから欠けていることが当たり前で、その欠けている部分をまわりの環境と一緒になって作り上げていくことが、人間、あるいは、生き物がやっていることなのかなと思います。そうすると、レジリエンスは「欠けていることがスタート」となるのではないでしょうか。

「思わず助けたくなる」レジリエントな関係は、どうすれば生まれるのか?楠木 建(くすのき・けん)
一橋大学大学院経営管理研究科教授。専攻は競争戦略。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。大学院での講義科目はStrategy。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師(1992)、同大学同学部助教授(1996)、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授(2000)を経て、2010年から現職。著書として『すべては「好き嫌い」から始まる』(文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』『「好き嫌い」と経営』『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)、『好きなようにしてください』(ダイヤモンド社)、『戦略読書日記』(プレジデント社)、『経営センスの論理』(新潮新書)などがある。

楠木 なるほど。わたしは自分にその要素がまったく欠如しているので、スポーツで成功したとか、キャプテンだとかラグビー選手とか、聞くだけでもう即座に尊敬するわけですが、廣瀬さんはスポーツという勝ち負けがはっきりしている厳しい世界でいろいろな挫折はあったとしても、基本的に大学でも有名な選手で、社会人でまた全日本に選ばれて、キャプテンでもあり、ラグビー人生はうまくいっていたわけですよね。

 そこが人によって違っていて、私の場合は15、16、17と私の人生暗かったというメインフレーズがあるわけですけども(笑)、強くていろんなものをはねのけて成功した人ゆえの弱さみたいなものも、もしかしたらあるのかなと。

廣瀬 ビジネスの世界では勝者が一人じゃないってお話がありましたが、アスリートはその「勝敗のあいまいさ」に慣れていない。ビジネスって結果が出るにも時間がかかりますし、その過程であいまいなものがたくさん出てきて、「これ勝ったんか、勝ってないんか」をどう定義したらいいのか、アスリートがビジネスの世界に入ると最初はそこに戸惑ってしんどくなることはありますね。

楠木 そういう方にはどういうアドバイスをなさるんですか?

廣瀬 スポーツの世界は環境やルール、勝ち負けの定義づけを自分でやることがあまりないんです。だから自分の人生も含めてですけど、自分で定義するとか、仮説を立ててやるとか、そういうところからスタートしていくのがいいのかなって思います。

(後編は12月20日公開予定)

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