家賃3万2000円のボロアパートに夜逃げ
Mが経営していた出版社への執筆依頼は徐々に減少し、依頼された記事の単価も下落。経営は目に見えて悪化し、経費も使えなくなっていった。お抱えのライターを有効活用できればと始めたのが冒頭の「出版社」での取引だったが、それも長続きするはずがない。残された体力の消耗を極力抑えるために、記事1本あたりで支払っていたライターへの報酬額も引き下げていった。
経営は悪化の一途をたどっていたが、Mにとってせめてもの救いは、「自分を表現できそうなマスコミの仕事」に夢を見て寄ってくる若くて安いライターが常に存在していたこと、そして、バブル崩壊前から経営していたバーに入ってくる多少の利益だった。
しかし、その体制でも維持できないほどの状況に陥ってしまい、バー兼事務所と自宅双方の家賃を滞納したすえに会社をたたんで夜逃げ。家賃3万2000円、共同玄関・共同トイレのアパートの一室へと移り住むことになった。
Mの手元に残ったのは、「今もつき合ってくれる数少ない人との繋がり」、そして「カネ回りがよかったときのメンタリティ」という捨てきれないガラクタだけだ。
ところが、である。人生を賭けて築いてきた「生きるための拠点」をすべて失ったかに見えたMを救い、安定的な「収入」をもたらしたきっかけは、なんとそのガラクタだったのだ。
バブル後遺症から手を出したヤミ金の世界
Mは、事業収入が目に見えて減少するなかでも、それまでと変わらぬ勢いでカネを使い続けていた。毎晩のように飲みに出かけ、高級料理に舌鼓を打つ。当然、天からカネが降ってきたわけではない。不足分を金融機関からの借入で埋め合わせていたのだった。
年間利子が数%の金融機関から始まり、借入できるところを探していく。5%、8%、10%、12%……。ついには、年利20%を超えるいわゆる「ヤミ金」にも手を出した。変えられない生活と、出版社の赤字を補填してくれるバー経営を維持するために、数年前からMはヤミ金の泥沼へと足を踏み入れていた。
一方、ヤミ金は「衰退産業」となってきたと言える。2000年代半ば以降、ヤミ金を規制する法律・制度が急速に厳格化されていった。司法や消費者運動によって、多重債務を抱え、暴力的な取り立てに苦しむ者たちの存在が明らかにされてきたからだ。
制度が改正された結果、貸し付けた相手に警察へと駆け込まれた時点で、ヤミ金業者は回収不能になる。実際、貸し倒れを重ねて自らも借金を積み上げた結果、ヤミ金の世界から足を洗う者も少なくなかった。
しかし、だからといってMが救われたかというとそうではない。利子を除いてもすでに数百万円以上の債務を抱えていた。Mがヤミ金を告発した場合、ヤミ金による取り立てと同様、もしくはそれ以上に苦しむことになるのは明らかだった。
それは、信用情報が金融機関へと出回っているため、もはや合法的な手段では借金などできないからだ。ヤミ金との関係が切れてしまっては、カネが入ってくるルートがなくなってしまう。
つかず離れずの関係でヤミ金に支えられてきたM。そして今、「生きるための拠点」を失おうとしているMに新たな「拠点」の在り処を持ちかけてきたのは、ほかでもない、ヤミ金の担当者Kだった。