恐怖の演技指導、台本は「生活保護受給マニュアル」

 約束の日、Mは都心にあるタワーマンションの高層階に向かった。通された部屋で待っていたのは、Kではなく別の男だった。目つきは鋭く、体も大きい。

「まあ、そこ座って」

 すでにもう一人、初老の男が座っていた。Mはその隣に腰掛けた。

想定問答が記されたマニュアル
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「じゃあ、マニュアルだから、これ読んで」

[※自分の言葉で(言葉ではなく内容を覚える)……]。はじめは、そこに書いてあることが何を意味するのか、皆目見当もつかなかった。「マニュアル」という割には、単に会話文が羅列されているだけの荒いつくりである。しかし、読み進めるにつれて、これが役所でのやり取りを示すものだということを理解できた。

「いいか、上から1個ずついくぞ。最初は見てもいい。爺さんがやって、あんたがやるっていう順番な」

 Mに男の目が向けられた。

「まあ、まず音読しろや。じゃあ爺さん、『今日はどうされましたか?』。はい」

 初老の男性は黙っている。すると、目の前から怒鳴り声が飛んできた。

「字ぐらい読めるだろ!『生活の相談がしたくて来ました』だ。言え!」

 小さな声で「生活の相談がしたくて来ました」とつぶやく声が聞こえる。

「はい、同じ。『今日はどうされましたか?』」

 Mも「生活の相談がしたくて来ました」と答える。

 マニュアルには、[→相談室へ]と書いてある。そこでMは気がついた。役所に入ってから、相談室の窓口に言って何を言うかまでのすべてをロールプレイングすること。そして、随所に[→1度の返答は短く、ひとつだけ]などと書かれているように、自然な受け答えができるよう血肉化させられるということを。

頭ではなく体に叩き込むセリフ
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[——たくわえなどはないのですか 例 まったくないです。この3日間なにも食べてません]
[——親戚や友人、知人でたすけてくれるような人はいませんか 例 まったくいません]
[——今手持ちの現金はありますか 例 100円ちょっとしか多分ないです→ポケットから小銭を出して見せる]
[——自己破産を考えないのか 例 やり方教えてもらえますか]

 それぞれの項目をひとつずつ、マニュアルを見ずに自分の言葉で伝えられるようになるまで、相手からの問いかけは続く。

 数回も通したら、Mはすべての質問によどみなく答えられるようになったが、初老の男性は10回近く通すことになった。つまずくたび、そして不自然な言葉遣いになるたびに「そんな言い方普段しねえだろ!この野郎!」と罵詈雑言が飛んでくる。