かつて「年男」は正月行事のすべてを取り仕切っていた

 現在、正月を中心とした行事の主役を務める「年男」のような存在は見当たりませんが、かつては正月に限って、一家の行事すべてを年男が取り仕切りました。

 年男は、室町幕府や江戸幕府では、古い儀礼に通じた人が任じられましたが、一般の家では、主として家長がその任に当たり、しだいに長男や奉公人、若い男性が当たるようになっていきました。

 年男は正月が近づいた暮れの大掃除をはじめ、正月の飾りつけをしたり、元旦の水汲みをしたり、年神様に供え物をしたり、おせち料理を作るなど一切を務めました。とにかく年男にとって正月は、猛烈に忙しい期間だったのです。

 いまでは年男といえば、その年の干支に当たる人をいいますが、本来は正月行事全般を取り仕切る人のことを指していたのです。

鏡開きのとき、鏡餅は包丁で切ってはいけない!?

 1月11日は、正月に供えた鏡餅を下ろして鏡開きをします。鏡開きは、神霊が刃物を嫌うため、包丁を使わずに手や木槌などで鏡餅を割り、雑煮や汁粉にして食べる行事です。

 昔の武家では、鏡餅を雑煮や汁粉にして、主君と家来たちがそろって食べ、商家でも、主人と従者たち、さらには家族も加わって一緒に食べたということで、どちらの場合にも、家族や主従の親密さを深めることに意味があったと思われます。

 当初、鏡開きは1月20日に行っていましたが、江戸時代になって徳川家光の忌日が20日に当たることから、商家が行っていた蔵開きと同じ11日に変更したといわれます。

 近ごろでは、こうした鏡開きの行事を見かけることは少なくなりましたが、講道館をはじめ、剣道・柔道などの道場では、いまでもこの日、寒稽古を行った後に鏡餅を雑煮や汁粉にして食べる習慣が残っています。