新しい時代の「贈与経済」へ

 夢想だと思うだろうか。「eumoなんて突飛だ」と思った人もいるかもしれない。だが、実は「思いや気持ちを交換に乗せる」という営みは、特異なものではない。私たちは日常的に「そうしている」。ここで松村圭一郎さんの『うしろめたさの人類学』の知恵を借りながら「突飛でなさ」を示したい。

 たとえば、クリスマスプレゼントを贈ることを想像してほしい。お店で贈り物の商品を選ぶとしよう。その際に、カネだけ(=金額のみ)を選定基準にする人は、たぶん滅多にいない。「相手に喜んでもらえるか」等も判断材料にするはずだ。むしろ贈り物選びにおいては、カネの前景化は避けられる。むしろ人は「商品っぽさ」を隠し「贈り物っぽさ」を演出しようとする。商品から値札を外すよう店員に依頼し、丁寧な包装を施し、メッセージカードを添えるように。

 あるいは、仕方なくコンビニで商品を買い、それを贈るとしたらどうか。ビニールに入れてレシートつきでわたしたら、相手は戸惑うだろう。しかし、同じ商品であっても、それが立派に包装され、手紙も添えられたものだったら、反応は変わる。

 これらが何を示しているかというと、カネを介した経済的交換自体には「思い」や「感情」は乗っていないと私たちが思っているということだ。でも、演出などのプラスアルファを行えば、気持ちの交流というフェーズができ、交換にギフト性が付加されるとも私たちは感じている。

 このように、カネや交換に思いを乗せることは、われわれの身体になじんだ作法なのだ。極端な話、事件・事故の保険審査で命すらカネに換算される現実を受容する一方で、私たちはカネに換算できないものを守ろうとしているのである。その作法に従い、eumo経済圏は共感で駆動する交換を連鎖させている。

 さて、最後に社会学者ジンメルの指摘を引用したい。彼は、「人間性」や「つながり」「感情」といったものが分離した社会でこそ人は競争や闘争に向かうと分析した。正直私は『共感資本社会を生きる』を一読し、「とはいっても、共感の競争みたいなものがまた起こるんじゃない?」と思ったけれど、ジンメルの理路に則るなら、まさに感情や共感が醸成される仕組みが競争激化を抑制するかもしれない。

 むろん課題はある。たとえば「圏内共有の“サイフ”からeumoをたくさん引き出すために、共感をテクニカルに演出する人がでてきた場合どうするか」「共感の表し方にも個々人で巧拙がある。その『うまい/下手』がeumo圏内の『強者/弱者』という構図に結びつかないよう、どう配慮すべきか」等々。実は、筆者は思い切って新井さんにこれらを問うた。すると、新井さんは今考えている戦略を惜しげもなく語ってくれた。

 そのやりとりを通し、『共感資本社会を生きる』が、資本主義とは別の選択肢を作る足掛かりになることを感じた。また「豊かさっていったい何だろうか。お金ってそもそも何だったんだろうか」(同書36ページ)といった新井さんのラディカルな問いを共有し、本を読みつつ考えることで、いま私が生きている社会環境、そして生き方を問い直し、深めることもできると確信した。

 新井さんの次なる一手に、これからも注目していきたい。

[参考文献]
・カール・マルクスほか『資本論』向坂逸郎訳、岩波文庫、1969年
・トマ・ピケティ『21世紀の資本』山形浩生ほか訳、みすず書房、2014年
・「上位26人の富豪が153兆円保有、38億人分の資産と同額」CNN.co.jp
https://www.cnn.co.jp/business/35131600.html
・松村圭一郎『うしろめたさの人類学』ミシマ社、2017年
・ゲオルク・ジンメル『社会分化論 社会学』居安正訳、青木書店、1970年