2009年。僕は大学院に進学しました。
大学ではゲームを忘れるほど研究に没頭した時期もあって、学術の道に進むのも悪くないと考えたからです。ところが、僕を待っていたのは大きな失望でした。
大学院の入試では、学部時代から師事していた先生の研究室に行くつもりが失敗。希望の研究室に入れなかった理由は、そのために必要な条件をきちんとリサーチしなかったからです。完全に自分の過失でした。
ここで立ち止まるべきだったのに「だったら別の研究室に進めばいいか」と、安易な考えで進路を決めてしまいました。自分の気持ち、違和感を粗末に扱ってしまったのです。
リストラされたサラリーマンみたいな日々
現実に大学院生活が始まると困ったことになりました。研究に、どうしても興味が持てないのです。多忙な研究室では、自主性が強く求められます。新参の消極的な院生にかまっているヒマはありません。3ヵ月もすると僕の居場所はほとんどなくなり、研究室からは自然と足が遠のいていきました。
今なら理解できますが、研究内容がつまらなかったのではありません。その面白さに研究者として自ら切り込んでいく力が、僕の方に足りなかったのです。
それからは辛い時期が続きました。朝、目が覚めると着替えて食事をして研究室に向かいます。そのうちにどうしても大学の門をくぐることができなくなりました。それでも毎朝、行くあてもないのに同じ時間に起きて素知らぬ顔で出かけていきました。家族にも相談できなかったのです。
リストラされたサラリーマンが家族にもいえずにスーツを着て出かけていく。ことの深刻さは違うものの、そんな気持ちを味わいました。他人の目はそれほど意識しない僕も、このときばかりは気になりました。行くあてもなく公園のベンチに座って道行く人をながめながら、同級生はどうしているのだろうという気持ちが自然に出てくるのです。差をつけられているんだろうなと思いました。就職した者、研究者への道を進む者。フラフラしている自分が情けなく、しかしどうすればいいのかもわからない。そんな状態でした。これが10年前の僕の姿。何も考えずに流された、「何となく引き受けた」者の末路です。
軽く考えてしまった理由。それは僕が人生で大きな失敗をしてこなかったからです。中学受験は麻布。大学受験は東大。大学の学部時代は研究が認められて学会で成果を認めてもらうこともできました。
でも今振り返ると、僕は一度も自分に「なぜこの道を選ぶのか」と問いかけたことがなかった。自分で決めたことがなかった。親と世間が敷いたレールの上を、ずっと順調に走ってきただけだったのです。いわばこれまでの人生のツケが回ってきたのが、この大学院での失敗でした。