改革者――。パナソニックの元社長である中村邦夫氏と現社長である津賀一宏氏は、共に社内外からこう評される。両者は共に、巨額赤字を計上する有事に登板。構造改革と成長戦略の立案をセットで実行し、パナソニックを“復権”させるという重責を担った経営者だからだ。しかし、今も語り継がれる中村改革とは対照的に、8年目に入った津賀改革の評価は芳しくない。特集「パナソニック 続・老衰危機」(全4回)の#04では、現役社員・OB13人による辛口証言を基に、津賀改革の死角を追った。(ダイヤモンド編集部 新井美江子、浅島亮子)
津賀社長が意味を履き違えた
中村氏の「前任者否定」発言
「就任当初、津賀(一宏・パナソニック社長)改革は、『破壊と創造』を掲げた中村(邦夫・パナソニック元社長)改革を模しているといわれていた。でも、真似ていたのは改革の表層的な部分だけで、施策の順番や優先順位、社員の巻き込み方など、改革の『実行力』『社内への浸透度』という点では、中村さんにはかなわない」(パナソニック社員)。
今から8年前の2012年2月、津賀氏は、大坪文雄氏(当時はパナソニック社長。現・特別顧問)から経営のバトンを受け取った(就任は同年6月)。業績低迷の責任を問われる形で失脚した大坪氏。当時を知るパナソニックOBは、「その社長交代の“タイミング”をつくったのが他ならぬ津賀社長だ」と打ち明ける。
津賀氏の2代前、大坪氏の前任社長である中村邦夫氏は、早い段階から大坪氏の後継は津賀氏と決めていたようだ。だが、「中村さんの本音は、あと1、2年は大坪さんに社長をやってほしかった。でも、AVCネットワークス社(デジタル家電を担当)社長だった津賀専務がコーポレート部門への根回しなくプラズマ工場の巨額減損処理に踏み切った。これが2期連続の巨額赤字の引き金になった」(同)。当時の経営企画などコーポレートは、長期間をかけて減損する“ソフトランディング”を描いていた。
中村氏が当時の経理責任者を叱りつけたのも後の祭り。赤字幅の膨張に「大坪退任」は避けられなくなった。心中穏やかではない中村氏だったが、それでも、「津賀本命」の考えは変わらなかった。
しかも、中村氏は津賀氏の社長就任に際して、「経営のかじ取りは任せる。『前任者否定』をしてもらって構わない」と告げたという。前任者に、大坪氏のみならず中村氏自身が含まれていることは明らかだった。
前述のOBは、「中村さんは株式市場の評価を気にしたのだろう。株価には前任者否定が一番効きますから」と慮る。結果、津賀社長は就任当初から、躊躇なく「前任者否定」の施策を実行してゆく。その最たる例が、プラズマテレビ事業からの撤退であり、旧三洋電機を母体とする事業・人材の排除である。