美術館などでアート作品を見ても、「よくわからない」「『きれい』『すごい』としかいえない」「どこかで見聞きしたウンチクを語ることしかできない」という悩みを耳にしますが、それは、日本の教育が「探究の根」を伸ばすことをないがしろにしてきたからなのかもしれません。

どんなに上手に絵が描けたとしても、どんなに手先が器用で精巧な作品がつくれても、どんなに斬新なデザインを生み出すことができても、それもあくまで「花」の話です。「根」がなければ、「花」はすぐに萎れてしまいます。

作品だけでは、本当の意味でのアートとは呼べないのです。

「地下世界の冒険」に夢中な人たち――真の「アーティスト」

「アートという植物」の生態を、もう少しよく見てみましょう。
この植物が養分にするのは、自分自身の内部に眠る興味や、個人的な好奇心、疑問です。
アートという植物はこの「興味のタネ」からすべてがはじまります。ここから根が出てくるまでは、何日も、何ヵ月も、時には何年もかかることがあります。

このタネから生える「探究の根」は、決して1本とはかぎりませんし、好奇心の赴くまま好き勝手に伸びていきます。それぞれの根は、太さも、長さも、進む方向さえも違い、くねくねと不規則に波打ち、混沌としています。

「探究の根」はタネから送られる養分に身を委ね、長い時間をかけて地面のなかを伸びていきます。
アート活動を突き動かすのは、あくまでも「自分自身」なのです。他人が定めたゴールに向かって進むわけではありません。

「アートという植物」が地下世界でじっくりとその根を伸ばしているあいだ、「地上」ではほかの人たちが次々ときれいな花を咲かせていきます。なかには人々をあっといわせるようなユニークな花や、誰もが称賛する見事な花もあります。

しかし、「アートという植物」は、地上の流行・批評・環境変化などをまったく気にかけません。それらとは無関係のところで「地下世界の冒険」に夢中になっています

不思議なことに、なんの脈略もなく生えていた根たちは、あるときどこかで1つにつながります。それはまるで事前に計画されていたかのようです。
そして、根がつながった瞬間、誰も予期していなかったようなタイミングで、突然「表現の花」が開花します。大きさも色も形もさまざまですが、地上にいるどの人がつくった花よりも、堂々と輝いています。

これが「アートという植物」の生態です。
この植物を育てることに一生を費やす人こそが「真のアーティスト」なのです。

とはいえアーティストは、花を咲かせることには、そんなに興味を持っていません。
むしろ、根があちこちに伸びていく様子に夢中になり、その過程を楽しんでいます。

アートという植物にとって、花は単なる結果でしかないことを知っているからです。