最初の「やっかい」の洗礼はタクシー業界だった
早稲田大学大学院修士課程修了。米国ワシントンD.C.のシンクタンク、日米研究インスティテュートにて2009年から5年間マネージャー兼リサーチャーとして勤務。帰国後、米国NPOの米日カウンシルに渉外担当ディレクターとして就任。その後、米国企業の日本本社において政府渉外担当リーダーとして勤務した後、2017年1月からUber Japan株式会社に政府渉外・公共政策部長に就任。Uberの日本でのロビイング活動を率いる。その後、2018年10月より事業戦略部長としてUber Japanの主にモビリティビジネスの事業戦略策定に携わり、2019年2月に退職。現在は日本企業や外資系のモビリティ関連ITベンチャー企業の事業戦略、ロビイング活動やMaaSに関するアドバイスを行うROOTS Mobility Japanの代表。
安永 本当に大変でした。当初、Uberは地方でライドシェアの実証実験をしていました。そもそも、公共交通機関がなくて移動手段に困っている人たちが多い地方ほど、ライドシェアが必要とされているんです。「公共交通空白地有償運送制度」という制度もあるので、Uberは京都の京丹後市と北海道の中頓別町でライドシェアの運行を始めました。ところが、タクシーが1台もない公共交通空白地帯だから始めたのに、京丹後市ではUberがライドシェアを始めると決まったとたん、地元のタクシー会社が戻ってきたんですよ(笑)。皆さんご存知のように、タクシー業界というのは日本全国津々浦々、業界一枚岩ですから。
そんなわけで、本来は京丹後市全体でやるはずだったライドシェアが、タクシー会社が戻ってきたことでどんどんエリアが少なくなってしまったんです。
入山 つまり、マーケットがなくてコストに見合わない地域だから撤退したはずのタクシー会社が、その時は東京のタクシー協会の指示で、「Uberを入れないように」ということで、戻ってきたんですね。
安永 はい。とはいえ、その後も京丹後市で狭いエリアながらもライドシェアを細々と続けられたのは、ライドシェアの運行主体がNPO法人で、このNPO法人や利用者の方たちに、あいだに入っていただいたのが大きかったですね。地元のタクシー会社も、実際の利用者の方たちや地元のNPOの人たちにはなかなか反対できないですから。
入山 つまりNPOの形にしたから、狭い規約のなかでもやれたということですね。
安永 最初に京丹後市がやろうとしていたライドシェアからは、かなりスケールダウンしてしまったので、ギリギリ維持できているという形ですけれど。逆に、中頓別町はこの経験を受けて、そもそも道路運送法に引っかからない形でやろうということで、無料で始めたんです。