じつをいうと、カンディンスキーはこの絵に「なに」といえるような具象物をいっさい描いていません。「考えさせておいてひどい!」というみなさんからの声が聞こえてきそうです。

しかし、カンディンスキーの《コンポジションⅦ》は、西洋美術史上初の「具象物を描かない絵」として知られているものなのです。具象物が描かれていない、いわゆる「抽象画」なんて、ほかにもありそうなものですが、それまでの長い西洋美術の歴史のなかで、いずれの絵をとってみても必ずなにかしらの「具象物」が描かれていました。

たとえば、名作とされるマティスの《緑のすじのあるマティス夫人の肖像》も、ピカソの《アビニヨンの娘たち》も、アートの世界に新しい「ものの見方」を生み出した画期的な絵ではありますが、どちらにもやはり「マティスの妻」「5人の娼婦」という具象物が描かれています。

※参考記事
ピカソが描いた「5人の娼婦」のあまりにリアルな姿
https://diamond.jp/articles/-/230290

そのような意味で、《コンポジションⅦ》は過去の西洋美術史上のどの絵ともまるで違っているのです。

彼はいったいどのような道のりをたどって「具象物が描かれていない絵」という「表現の花」を咲かせるに至ったのでしょうか?

「無性に惹かれる絵」を生み出す方法

カンディンスキーは1866年にモスクワの裕福な家庭に生まれました。

幼少のころからピアノやチェロを演奏し、音楽に親しんでいたといいます。大学では法学と経済学を学び、卒業後は大学教員として約束された道を歩みはじめていました。

そんな折、モスクワでたまたま訪れた展覧会で、人生を変えることになる「ある作品」と出会います。

その絵は、カンディンスキーがそれまでに見てきたどの絵とも違っていました。多彩な色調と無数の筆跡で埋め尽くされたその絵には、抽象的な形がぼんやりと浮かんでいるようでした。彼はそれを見たとき、「なに」が描かれているのかがまったくわからず、困惑したといいます。

しかし、それにもかかわらず、カンディンスキーはなぜかその絵に惹きつけられました。