ここ最近、韓国エッセイが日本で話題となっている。ベストセラーとなった『私は私のままで生きることにした』(ワニブックス)を始め、直近に刊行された『あやうく一生懸命生きるとことだった』(ダイヤモンド社)や『死にたいけどトッポッキは食べたい』(光文社)なども売れ行き好調だ。なぜ今、日韓両方でこれらのエッセイが売れているのか? 今回は、その中の一冊、『あやうく一生懸命生きるとことだった』の訳者である岡崎暢子氏にその理由を聞いてみた。
韓国で蔓延していた「頑張る」ことへの疲れ
2018年あたりから、「自分らしく生きる」「他人のために頑張りすぎない」といった類の本が韓国で目立って売れ始めていました。
しかし実は、その少し前はまったく真逆の方向の本が受け入れられてたのです。たとえば、2011年には『つらいから青春だ』という本が韓国で200万部を超えるミリオンセラーとなりましたが、その当時の韓国には「一生懸命頑張れ」「努力しないと何事も成しえない」という風潮があったように思います。
サムスンをはじめとする一流企業に入ることが、人生の正解とされ、皆がそのレースに追い立てられているようでした。資格取得などで自分の価値を高めることを意味する「スペックを高める」という表現もこの当時に広まったように思います。
苦労して大学に入っても、次は就活、運よく会社に入れてもまた熾烈な競争が続き、厳しい状況を強いられる。恋愛や結婚、出産を諦めた「3放世代」と呼ばれた若者たちはやがて、持ち家やキャリア形成などありとあらゆることを放棄する「n放世代」となり、頑張っても手が届かないと悟ってしまったのです。
そこへ畳み掛けるように起きた「ナッツリターン事件」(世襲財閥の横暴)、「セウォル号事件」(被害者が公立高校の高校生=一般庶民だった)、「朴槿恵大統領の権力の私物化」といった出来事も、人々の気持ちを落としていったように思います。
若い世代の間では、「自国で暮らすのがつらい」という意味を込めた「ヘル(地獄)朝鮮」という自虐言葉が流行するほどでした。いかにその当時の韓国に、言葉にならない憤りや閉塞感が蔓延していたかがわかります。こうした出来事によって、韓国の人たちは努力だけでは越えられない格差の隔たりを実感させられたのではないでしょうか。