前回も書きましたが、新型コロナ対策の危機の本質は以下の「手遅れになる構造」—Too Late Mechanism(TLM)—にあるのです。

 8割の人は無症状か軽症で済むが、そうであるがゆえに感染は拡大し、1〜2割の人は肺炎という形で重篤化し、呼吸器が足りなくなり、各国ばらつきはあれども一定のパーセンテージで死に至ります。そして感染した人は被害者でありながらも、他者に感染させる加害者になってしまう可能性が出てきます。現状では新型コロナウイルスは感染源が特定可能です。つまり加害者が特定可能ということです。一般の人にとっても自分が身近な、そして多くの他者の死の契機となるほど恐ろしいことはないでしょう。

 命を守ることをミッションとしている医療従事者にとっては、患者に伝染させることだけはなんとしてでも避けねばなりません。また、自分や家族の命にもかかわってきます。そのため、罹患者が出るとそれに対処するための医療コストは膨大になります。そして医療従事者も感染すると、またたくまに医療リソースは失われていき、医療崩壊に至ります。

 新型コロナウイルスは病理的事象としてだけ捉えると「インフルエンザのほうが死者数は多い」といったように本質を捉え損ねてしまいます。新型コロナウイルスは病理的事象でありながら、心理的事象であり、そして情報的事象でもあり、それが相まって医療崩壊をもたらす社会的事象として立ち現れているのです。

「方法の原理」を持たなければ
目的と状況認識のズレを自覚できない

 こうして、当初たいしたことはないと言われているうちに、感染爆発は突如津波のように襲ってきました。津波が見えてから逃げても間に合わないように、感染爆発が起きてからでは遅いのです。

 政府(西村大臣)は、この新型コロナウイルス・クライシスの本質、つまり「手遅れになる構造」—Too Late Mechanism(TLM)—を把握できていない。つまり状況把握ができていないように思われます。これでは正しい意思決定をすることはできません。

 東日本大震災で避難する時間が十分にありながら大津波にのまれてしまった大川小の研究をしてきた身からすると、西村さんの姿は、津波も危ない、山も危ない、道路も危ないといったさまざまなリスクを考えるうちに、津波が目前に迫るまで校庭にとどまった教頭の姿とも重なります。

 こうした場合、「方法の原理」というフォーマットに沿って整理することで、「目的」を再確認し、「状況」の認識のズレを認識したうえで、信念対立状態を自覚的に解消し、スムーズな意思決定につなげていくことが可能になります。

 逆にいえば、この方法の原理をもたないかぎり、それぞれにとっての当たり前の「目的」と「状況認識」のズレを自覚できずに、意思決定の停滞が起こり、それは危機マネジメントの失敗=致命的な被害を招くことになります。

 今こそ、政府、地方行政、企業、そして我々一人ひとりが「方法の原理」を教養、文法として、身に付けていくべきときなのだと思います。