「好敵手」とみなされることが、
上司に「気に入られる」ということである

 私は、自分の「弱さ」を自覚しているつもりです。
 だからこそ、私の「弱さ」に迎合することなく、「会社としてどのように対応すべきか」を真摯に考え、私が社長として当然の意思決定を進言してくれる人こそが、信頼できる参謀たりうる人材だと確信しています。

 もっと言えば、上司である私に緊張感を与えてくれる人物こそが、本当の意味で頼れる参謀なのです。「こいつの目はごまかせない」「下手なことをしたら指摘される」という緊張感を与えてくれる人物でなければ、参謀として私の「弱さ」を律する助けにならないからです。

 もちろん、私も上司として、参謀には同様に接します。
 お互いに、「何が原理原則であるか?」「何が正しいのか?」を考え抜き、それをぶつけ合う。そのプロセスで、不確実な状況のなかで最適解を探り当てていくのが、上司と参謀の本来の関係性です。

 いわば、上司と参謀の関係性には「闘争」とも呼び得る要素がなければならないということ。そして、上司にとって「好敵手」と認められることこそが、参謀として「気に入られる」ということなのです。

 だから、参謀を志すならば、決して上司に好かれようとしてはいけません。
 ましてや、上司の「弱さ」に迎合して、安易な「逃げ道」を用意するようなことをしてはいけません。

 それは、一見、上司を守ろうとしているように見えますが、その実態は、「逃げ道」を提供することで、何らかの見返りを求めているだけのことです。
 そして、それは結果的に、上司を守るどころか、上司を貶めることにしかなりません。上司という「機関」をサポートするためには、上司と闘うくらいの覚悟がなければならないのです。