「部長ならできます」は
バカにできない能力である

 かつて、「あなたのスキルは何ですか」という問いに「部長ならできます」と答える管理職を笑うような風潮があった。日本企業では、スキルの有無に関係なく、年次制度により、大過なく一定の年数勤めさえすれば、誰でも管理職に上がれるということを皮肉ったものだ。もちろんそういう側面はあり、無能な管理職もいるのだが、仕事は個々の作業の積み重ねとはいえ、人が動き、組織がまわらなければ完結しない。大企業においては部下が優秀であれば、管理職はモードコントロールだけで組織を回すことができる。

 つまり、「部長ができる」ということは、ペーパーワークよりも高次元で、非常に繊細かつ、ある意味では高度な能力である。「部長ならできます」を笑う人は、場をコントロールする達人を見たことがないか、コントロールされていることにすら気づいていないだけかもしれない。

 官僚を仕切る大臣や剛腕のターンアラウンドマネジャー(再建家)は、スピーチ、会議での立ち居振る舞い、オフィスでの声掛けなどを通して、業務そのものに対しては自分よりも何倍も詳しい人を束ねることが求められる。うっかり細かい内容に分け入って戦ってしまうと、相手の領域に取り込まれて負ける。

 上位者は、細かい中身に首を突っ込まず、目的を明確にし、基本的に守るべき原則をかかげ、支援派と反対派の集団内の対抗意識を高め、不定期に不作為の罪を犯す人をちょっとしたスケープゴートとしてやり玉に挙げて、身内の中から非難、批判させ、集団の鬱憤の「ガス抜き」をしつつ、一方では、きちんと成果を収めた支援派側を大げさに褒めて、組織をコントロールする。もちろんそこに洞察力に基づいた戦略構築力が加われば圧倒的な威力を持つが、モード操作技術だけでもかなり組織を操縦できる。

 マネジメントの教科書では、今なら「心理的安全性」などと喧伝される、上記の図の右の象限にある創造性や安定性を強調するきらいがあり、確かに実際に良い仕事をするうえでこうした安定的な状況は重要である。しかし、大組織を動かしていくためには、左側の揺動的、破壊的なアプローチをも使いこなすコントロール技術が同様に重要である。先に書いたように部下が優秀で能力がある場合は、モード技術だけで十分に組織運営をこなせる。

モード操作の達人も
リモートワークには苦戦か

 しかし、問題はリモートワークである。リモートワークでは、いくらモード操作の達人であっても、その場のモードを上記のようにコントロールすることが難しい。

 例えば、それぞれ以下のような課題が考えられる。

連帯モード

 メンバーは家にいるので、職場や仕事への没入感が生まれない。場の共有がないので、五感に働きかける高揚感の喚起は難しい。

共感モード

 これはまだ可能なほうかもしれない。しかし、場を共有している場合に比べ、共感を示すことの影響力は大きく減じられるだろう。