牽制モード

 他者からの冷たい視線、相手にされていないという恐怖感は、ウェブ会議などでは感じにくいものだ。会議が終わって、「退出」してしまえば、その後はメンバー同士が顔を合わせて一緒に仕事をしなくてよい。会議中も楽な気持ちでいられるし、なおのこと牽制は利かないだろう。

対立モード

 顔を突き合わせた会議では、意見の対立があっても、その後も一緒に仕事をすることを見越して、対立し続けるわけではなく、着地点を見いだせるという担保がある。だからこその対立モードである。一方、ウェブ会議で下手に対立モードを作ると収拾がつかなくなる。メンバーに退出されたら終わりだし、終了後「まあまあ」と、なだめるようなフォローもできない。よって、このモードも使いにくい。

人心掌握の
新手法は生まれるか

 このように、リモートワークにおいては、モードコントロールの技術だけではいかんともしがたい状況が生まれてくる可能性は高い。

 集団や集会で大衆をいかに操作するかについては古来よりさまざまな手法がある。オフィスにおいてもこれまでそれにたけた人が、仕事の中身でなく、人を支配するさまざまな技術を駆使することによって、優位な立場を築いてきた。その点では一般従業員はそれらの支配技術に対してかなり無防備であった。

 今後は、その技術の多くが使えなくなることで、仕事そのものへの貢献に重点が移るかもしれないという希望がある。しかし新しい道具が普及すれば、それに即した新しい大衆の操作、煽動手法もまた、生まれてくるだろう。
 
 ラスプーチンはその瞳で人をとりこにし、ヒトラーはその瞳と制服と演説と舞台装置で大衆を意のままに動かした。現状はウェブ会議の解像度が低いから、まだ、救われているのかもしれない。ウェブ会議システムの向こうからのまなざしで、あるいは新たな技術を用いて、確実に的確に人心を掌握する新たな支配者が生まれる可能性も高い。私はたいていの新技術には肯定的だが、今回も新技術を悪用(上手に活用)して、再び大衆を操作する人が出てくるであろうことを想像すると、前向きに考えてばかりもいられないのである。

(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)