人間が守るべき10のルール「十戒」
モーセを指導者とするイスラエルの民はエジプトを出発しましたが、いきなり大きな患難が一行に襲いかかりました。
一度はイスラエル人の解放をOKしたエジプト王ファラオが、「やっぱりやだ。追いかけて捕まえろ!」と、大軍を派遣してイスラエル人一行を追わせたのです。
とうとう一行は海辺まで追いつめられてしまいました。絶体絶命、まさに背水の陣です。
「ほら、やっぱり多少いじめられてもエジプトに残ってる方が良かったんだ!」
「モーセが余計なことをしたせいで殺されちゃうじゃないか俺たちは!」
「投降してエジプトに帰ろう」
イスラエルの民は口々に不満を叫びます。
しかしモーセは
「神様が戦って守ってくれるから大丈夫! 君たち黙って見ていなさい!」
と、神様の言いつけ通り、海に向かって杖を掲げました。
するとなんと!! 海が左右にパッカ――ン!! と分かれ、道が現れたではありませんか。
これが数々の絵画で描かれ、映画『十戒』では世界の映画史上屈指の名シーンとなった「モーセの海割り」です。
イスラエルの民は割れた海を歩いて渡りました。その後ろをエジプト軍が追いかけてきましたが、渡っている途中で海が元に戻って、みんな溺れてしまいました。
こうして危機を乗り越え旅を続けていく途中、シナイ山という場所で神様はモーセを山頂に呼び出しました。
「君たちが守るべき決まりを与えるから、取りに来て。これを守ればみんなを祝福するし、守らなければ知らない」
そこでモーセは山に登り、山頂で10の決まり事が書かれた石板を受け取りました。これが「十戒」です。この十戒の教えは今でもユダヤ教徒やキリスト教徒の間で生き続けています。
「十戒」には、ざっくりこんなことが書いてあります。
・あなたは自分のために偶像を造ってはならない。
・あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。
・安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。
・あなたの父と母を敬え。
・殺してはならない。
・姦淫してはならない。
・盗んではならない。
・偽りの証言をしてはならない。
・あなたの隣人の家を欲してはならない。
(出エジプト記 20章3~17節)(抜粋)
さてさて、この出エジプトの旅についてのエピソードは書こうと思えばいくらでもあります。
本当はそんなに遠い道のりではないのに、イスラエルの民は神様を怒らせたので「もう、君たちが生きているうちには到着させてあげない!」と言われ、いろいろと迂回や停滞を余儀なくされ、40年もの時間がかかったからです。
イスラエルの民は、割れた海を渡ってエジプト軍から逃れたあとも「お腹がすいた」「喉が渇いた」「疲れた」「不安だ」と次々に文句を言い、何度もモーセを困らせ、神様の手を煩わせました。
そのたびに神様は「君たち、なんで私を試すようなことばっかり言うの!?」と怒り、彼らもその場では「すみませんでした」と言うのですが、またしばらくすると不満を言い出すのでした。
神様の予告通り、エジプト脱出を体験した人たちがみんな死んで、すっかり世代交代を終えた頃、イスラエルの民はようやく約束のカナンの地に着きました。
この世代交代の波にはモーセ自身も勝つことができませんでした。モーセはカナンの目と鼻の先まで来ながら、カナンに入ることはできずに亡くなります。
そして後継者であるヨシュアを指導者として、この長い旅は終わりを迎えたのです。
この旅はエジプトから脱出する旅でしたが、「脱出」はキリスト教においてなかなか大切なキーワードです。
この「エジプトからの脱出」のほかに本書『キリスト教って、何なんだ?』でも紹介している「バビロン捕囚からの脱出」も旧約聖書上、大切なエピソードですし、イエス・キリストのしたことは「人々を罪とその悪影響から脱出させる」ことだからです。
たとえば何か悪い習慣から「脱出」するのはとても難しいことですが、その悪戦苦闘とこの「出エジプト記」に記されているモーセ一行の悪戦苦闘を重ねれば、「いつかモーセのように神様によって脱出できるのだ」と励みになることもあるんです。