脳が生んだ大きな誤解

──この本では「進化は進歩なのか?」という非常に興味深い問いかけがなされています。改めて、どういう意味合いでしょうか?

更科 世の中では「退化」の反対は「進化」と理解されているようです。しかし、生物学的には「退化」の反対は「発達」です。どちらも進化の一つなんです。

 たとえば、魚が陸に上がるようになったときは肺とエラがありましたが、次第にエラが退化して、肺が発達していきました。これは「進化」の過程ですが、はたして「これが進歩なのか」と考えてみると、そういうふうには捉えられないわけです。

 陸上で暮らすためにいろいろな器官が発達すれば、水中で暮らすためのいろいろな器官は退化していきます。陸上で暮らすためには進歩に見えることが、水中で暮らすためには退化に見える。結局、ある条件に適応すれば、他の条件では不利になるわけで、しょせんは相対的な話です。進化とは変化にすぎず、絶対的な意味での進歩はありえない。

「どちらが陸上を走るのが得意か」と言えば、たしかに人間の方ですが、水の中を泳ぐのは魚の方が得意です。また「陸上を走るのが得意」というのであれば、もっと優れた動物はたくさんいます。結局、さまざまな進化はありますが、それを「進歩」とは言えないんです。

生物の世界において「進化」は「変化」である

──なるほど、たしかにその通りですね。なぜ、私たちは「進化」と「進歩」を同じように捉えてしまうのでしょうか?

更科 それは脳の存在が大きいと思います。脳の大きい生物が優れていると私たちが思い込んでいることから、そうした偏見が生まれているのではないでしょうか。

 もし「脳が大きくなること」が進歩だとしたら、ネアンデルタール人の方が私たちよりも脳は大きかったわけです。また、ホモ・サピエンスのなかでも、1万年前のホモ・サピエンスのほうが脳は大きい。むしろ、現在は小さくなっているんです。脳の進化には、大きくなることもあれば、小さくなることもあるのです。

 進化論というと、ダーウィンが有名ですが、ダーウィンより前に進化論を主張した人は山ほどいました。ジャン=バティスト・ラマルクやロバート・チェンバース、ハーバート・スペンサー。ダーウィン以前の進化論者は全員、「進化は進歩」だと考えていたんです。ダーウィンは「進化は進歩ではない」と主張しましたが、当時、その声はほぼかき消されてしまいました。

 現在でも、たとえばCMで「カメラは進化する」と表現したり、アスリートがインタビューなどで「僕はまだまだ進化します」と言ったりしますが、ほとんどの場合「進歩」という意味で語っていると思います。

 でも、ダーウィンが主張した進化、つまり生物における進化には、「進歩」という意味はまったくありません。実際、ダーウィンは「世代を超えた変化」と表現していますから。