米海軍の元兵士の家族が返還

 私の伯父は、フィリピンのルソン島で1945年春に23歳で戦死したことが確認された。生まれる前のことだが、私は物心ついてからも、祖母や父の胸のうちに無念さが残っていたことは折にふれて感じていたし、終戦記念日の前後には、特に思い知らされた。

日章旗家族のもとへと返還された日章旗

 その伯父が出征の際に贈られたという寄せ書きされた日章旗が、出征の55年後の1999年に米国から厚生省(当時)ならびに長野県社会部を経由して、戻ってきた。米国ミシガン州の米海軍の兵士だったフランク・ウランプキンさんが所有していたものを、ウランプキンさんが亡くなった後、ウランプキンさんの家族や知人が返還に努めてくださったようなのだ。

 縦70センチ、横100センチほどの日章旗には、「祈武運長久 贈山口義忠君」と伯父の名前が大きく記され、日の丸を囲むように、51人の署名がある。絹の日章旗のようだが、褐色に変色し、血痕のようなシミがあり、肌身離さず身に付けていた伯父の血痕かと思うと胸が詰まる。

 しかし、大きく破損してはいない。ウランプキンさんが、大切に保管してくだったのではないかと思えることが救いだ。返還を受けるときに、父が聞いた話が、それを裏付ける。その話とは、次のとおりだ。

戦時下の無人島で日米兵士が助け合った

 第二次世界大戦中、ウランプキンさんの乗った船が沈み、ウランプキンさんら数人の米兵が無人島のような小さな島に泳ぎ着いた。そこには、負傷した数人の日本兵がいた。日米の兵士は、そこでは争うことをせず、お互いにバナナを食べて飢えをしのぎながら助け合い、親しい間柄になったらしい。2週間後に米軍の救助船が来て、ウランプキンさんが島を離れる際に、伯父からこの日章旗を渡されたというのだ。