ウランプキンさんが生前、家族に話したのはそれだけだったという。伯父がどのような思いで、敵国の米兵士ウランプキンさんに日章旗を託したのかは分からない。伯父や島にいる日本兵全てが、けがや飢えによる死を覚悟していて、ウランプキンさんに託すしかなかったからだろうか。

 今となっては事実を知るよしもないが、ウランプキンさんの話のとおりだとすれば、私にはその理由が分かるような気がする。父も私も、既成概念や定説にあまりとらわれることなく、自律裁量の思いを大事にして行動するたちだ。会ったことのない伯父に対して私自身が観察した結果ではないが、祖母や父のかつての話をふまえれば、伯父にも幼少時からそのような気質があったようだ。

国の争いは個人の信頼の前に無力だ

 伯父が戦死したのは終戦前の春なので、無人島でウランプキンさんに遭遇したのは戦時の真っただ中だ。「敵国の兵士と共に飢えをしのぎ、助け合うなど言語道断、戦って相手を倒すか、さもなければ自決すべき」というような考えが流布していたに違いない。しかし、伯父はその概念にとらわれず、お互いに助け合って命を永らえる選択をしたか、少なくともその選択に加担したと考えられる。そして、敵国の兵士を信頼して、日章旗を託すという、自身の思いに忠実に行動した可能性がある。

 家族や友人、知人への思いを込めた日章旗を、敵国の兵士だが短い人生の最後の一時を共に過ごす中で、信頼をしたからかもしれない。当時の情勢を鑑みるほど、これほど自律裁量に富んだ行動はないと思う。

 戦時下ゆえに、事実はこのようなきれいな話ではない部分があったかもしれない。日米の兵士がわずか2週間で、かような完全な信頼関係を築けるものか、なぞは残る。しかし、ウランプキンさんが米国へ帰任後、日章旗をオークションやアンティークショーに出すこともなく大切に保管したことは事実だ。そして、その思いを受け継いだウランプキンさんの家族は、日本の遺族へ日章旗を帰すことに尽力してくださったのだ。これは紛れもなく、信頼に応えた証しといえまいか。

 だとすれば、国と国との争いは、個人間の信頼の前には無力だということを如実に示しているように思えてならない。米国と中国をはじめとする国同士の対立のみならず、地域にも企業にも、さまざまな組織のいたるところに対立が生じている。75回目の終戦記念日にあたり、そのような対立は、命を守るための助け合いや信頼の前には、全く無意味だという教訓に思えてならないのだ。

 伯父は戦死し、ウランプキンさんも1980年代に亡くなり、伯父の弟である父も一昨年に亡くなったが、ウランプキンさんのご家族がウランプキンさんの思いを受け継いでくださったように、私たちもこの平和への思いを次の世代へ引き継いでいかなければならない。