パソナが本社機能を淡路島に移転するニュースが話題になりました。主要幹部は淡路島に常駐し、経営企画や人事などの本部機能の社員1000人超が対象になるとのこと。しかしコロナ・ショック以降、テレワークも進むなかで、転勤命令の多くは合理的なものでなくなっていると、『どうして僕たちは、あんな働き方をしていたんだろう?』の著者・河野英太郎氏は説きます。
過去の「働き方」をBefore/Afterのストーリー形式で振り返ったのち、新しい働き方のHow Toを紹介する同書より、「転勤」についての新しい考え方をご紹介します。
Before:会社員なら転勤命令は絶対。従わないなら退職も覚悟
「えっ、それ本当!?」
帰宅するなり、黒木弘明から衝撃の事実を聞かされた妻の穂乃果は、声を上げた。妻の大声に、黒木もびっくりしてしまったが、無理もないことだと思えた。
「辞令が出て、福岡に転勤だってさ」
夫婦は東京の郊外に家を買い、住み始めて1年も経ってはいなかった。子どもは幼く、保育園で友達ともなじみ始めていたところだった。
「いつ帰ってこられるの?」
「わからない……2年で帰ってきた先輩もいるし、5年行ったままの先輩も……」
黒木の会社では地方支社の赴任もよくある話ではあった。そして、拒否することも難しかった。辞令は絶対で、背くならば辞職しかありえない。この会社一筋で仕事を続け、40歳を目前にした自分に、今から全く別の会社へ転職する自信もはっきりとは持てなかった。
「……単身赴任しかないか」
黒木は、小さくつぶやいた。その言葉で、穂乃果は察するしかなかった。自分たちの置かれた状況を思えば、うなずくしかなかった。
「福岡くらい大きな街なら、わざわざ東京から転勤させなくとも、地元に誰かいい人……いそうだけどなぁ」
夫婦はその晩、福岡の暮らしを思いながら、不動産仲介のウェブサイトをながめてみるのだった。
After:オンラインで多くの仕事が完了。転勤のない会社に人気が集まる
「おかえり! よかったね、思ったより早くて!」
出迎えた妻の明るい表情に、心の底から黒木弘明はホッとした。
辞令から2年が経ち、福岡への単身赴任から黒木は東京に帰ってきた。休みにはしばしば東京とも行きつ戻りつしていたが、やはり自宅の空気は違った。あたたかい、と思った。
「ごめんな、保育園のこととかも、いろんなこと任せてしまって」
「ううん。その分、福岡で頑張って、昇進もして、すごいと思ってるよ」
妻のねぎらいが素直に嬉しかった。黒木はスーツを脱ぎながら、2年の間にすっかり様相が変わったビジネスの環境を思った。テレワークやビデオ会議が浸透し、遠隔地の相手ともやりとりする機会が増えた。黒木の会社も従来のオフィスを縮小し、辞令による転勤はおろか、出張の機会も激減していた。
福岡にいるときから、黒木はその変化を目の当たりにし、自分もなるべく早く東京に戻れるように画策を続けてきた。加えて大きかったのは、会社が新卒採用で、「転勤あり」とすると大変苦戦するようになったことだ。今の若者は、年収よりも住む所を自由に選べることを重視するらしい。
そこで黒木は、福岡支社では人事にも関わり、現地採用の強化を続けた。その結果、九州各地からやる気に溢れた人材が揃い、東京に負けず劣らずの成績を上げるなどして、福岡支社は会社の注目の的になったのだ。その手腕を評価され、東京での人事領域のテコ入れを任されることになった。
「もう東京から動くことはないだろうし、現地に行く理由もなくなった。これからは家族の時間を増やしていこうな」
その言葉に、穂乃果は笑顔でうなずいた。