How To:人材獲得のためにも、明確な理由のない異動や転勤は撤廃すべき

 転勤には、私も並々ならぬ思いがあります。電通で中部支社に転勤命令が下らなければ、今でもそのまま仕事をしていたかもしれませんから……。

 人事系の仕事が長かったこともあり、日本企業の人事部門の方から「定期的に数週間かけて、異動計画を調整するのが忙しく、効率化する方法はないか?」と相談を受けることがあります。それに対して「何のための定期異動ですか?」と答えると、ほとんどの方は論理的に回答するのが難しいようです。人事が理由も明確にわからないのに、本人が望まないキャリアチェンジが前提となる「異動計画」は、もはや目的を失った習慣に過ぎないのではないかと、私は思います。

 日本企業では長らく「定期異動」や「遠方赴任」といった、ビジネスの前進や組織のためという名目で、個人の事情を鑑みないような決定がなされてきました。ときには政略やパワハラの手段ともなり、中には社員からの告発で、いわゆる「炎上」へとつながった事件もありました。

 私は、もはや人権侵害ともいっていい定期異動など、すべてなくすべきと考えています。

 辞令が出ると、決まって「この度、○○支店への転勤を拝命しました」という挨拶が聞かれますが、「拝命」という言葉が示すように、それは自分のキャリアを会社に「与えてもらう」という意識の名残に他なりません。

 人事担当者にしても意義がわからず、本人でさえも内心では戸惑っているような異動に、人生を左右されてしまう。そもそも企業には、誰かの人生を勝手に左右していいほどの権利もありません。それほど意味のわからないものに、人生を預けてしまったままでいいのでしょうか?

 会社側の理屈もあるでしょうが、金融業などで聞かれる「癒着による不正を防ぐためだ」といった理由にしても、セキュリティ強化やブロックチェーンなどのテクノロジーを活用していく方向を模索すべきであり、人権を侵してまで実現することではありません。何より、ケーススタディにもあげたように、これからは転勤を強いられるような会社に、良い人材は集まりませんし、定着もしません。そのほうが業績に悪影響が出るのではないでしょうか。

 このように考えていたところに、日本の職場環境を変えるエポックメイキングな出来事が起こりました。新型コロナウイルス感染症の流行により、物理的な移動に制限がかかったことです。各社がテレワークやビデオ会議に挑戦していったのですが、その当事者であればあるほど、移動を伴わずともできる仕事の多さに気づいたはずです。あとは、その気づきを実行するだけなのです。

 アイデミーでも、役員会は早々にフルリモート化しました。新規入社のメンバーには一度もリアルで会ったことのないままにプロジェクトがスタートし、数ヵ月が経ちました。コミュニケーションはSlackなどのチャットツールが多いですが、仕事に支障はまったくありません。バーチャル空間のコミュニケーションは、リアル空間での「会った感じ」を十分に代替可能なのだと感じています。

 ただでさえ、私たちはテレビなどでよく見る芸能人や経営者に、会ったことはないけれど親近感を覚えてきた生き物です。それが双方向コミュニケーションも図れるとなれば、仕事を進めるに値するだけの関係はつくれるのです。

 ……と、こんな話をすると、「とはいえ、仕事相手に一度は会わないと、相手のことはわからないだろう」と返されることがあります。私は、まったくそうは思いませんし、その言説はウソだとさえ思います。

 今のようにビデオ会議やチャットツールが浸透していない時代、IBMで働いていたとき、アメリカ本国を含めてグローバルのメンバーは、当然のように会ったことのない人がほとんどでした(そうそう、”nice to E-meet you.”という挨拶をよくしていたのを思い出しました)。

 もちろん、仕事の進め方にもルールがあります。会議は互いに開催目的を合意したうえで開かれるため、意味のない会議は存在しません(会議には時差調整という難題もあるので、目的は重要視されます)。出席者は要求を明確にし、常に結論を導くコミュニケーションに努めていました。そして、事実、うまくいっていたのです。

 つまり、私は「ビジネスの相手であれば、リアルで会わずとも仕事に支障はない」と、このコロナ禍より前に、すでに経験していたわけです。時差があり、言語も異なる相手と仕事ができて、時差もなく日本語でコミュニケーションできる相手と成り立たない道理はないでしょう。

 また、テレワークに伴ってオフィスの見直しも起きています。「職住近接」という概念は通勤があるからこそ成り立ちますし、オフィスがあるから代表電話があり、電話番の業務が発生し、現地での受付担当さえ必要になるのです。それらも全て、見直せる対象です。どこでも働ける時代においては、オフィスは毎日行く場所ではなくなり、「スペシャルな場所」に変わります。今後は、オフィスや通勤、ワークスタイルも、仕事内容と並んで、企業の文化や風土、カルチャーを表していく要素になってきます。働く一人ひとりが、それらも含めて検討したうえで、自らのキャリアにとっての選択を行っていけばよいのです。

 これからは社会全体で「直接会わないこと」を前提とした仕事の仕方、打ち合わせや会議の方法に切り替わっていくでしょう。

 今後、転勤や出張という概念そのものがなくなってもおかしくはありません。経営者であれば、そうした時代を見越して今から対応を進めておくべきだと思います。